Speedy NEWS

Speedy Resort : 大度海岸(通称 ジョンマン・ビーチ)

Speedy Resortから車で15分のところに大度海岸がある。海の具合を確認するためスキンダイビング!
夕方行ったのに、透明度高いし、お魚もたくさんいた。久しぶりに海中の音と雰囲気を楽しめた。
大度海岸(おおど かいがん)は、通称「ジョン万次郎ビーチ」(ジョンマン・ビーチ)と言われている。ジョンマンは、江戸時代末期に初めてアメリカ大陸に行った日本人である。そしてそのジョンマンが、日本に帰国した際に上陸したのが沖縄のココ。
これだけ読むと、ジョンマンは冒険家で意を決してアメリカに渡ったように聞こえるがそうではない。全て偶然が重なった。
1841年、14歳だったジョン・マンは仲間と共に漁に出て遭難。太平洋に浮かぶ無人島「鳥島」に漂着する。ジョンマン達はそこで過酷な無人島生活をおくった。漂着から143日後、彼らはアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって助けらる。この出会いがジョンマンの人生を大きく変えることとなる。
救助されたものの当時の日本は鎖国をしており、外国の船は容易に近づける状態ではなかった。それに、帰国できたとしても命の保証はない。ジョン・ハウランド号の船長ホイットフィールドは、ジョンマンを除く4人を安全なハワイに降ろしました。だが、ジョンマンの事を気に入った船長は、アメリカへ連れて行きたいと思い、ジョンマンの意志を確認した上でアメリカへ連れて行ったのだ。
アメリカ本土に渡った万次郎はホイットフィールド船長の養子となり、マサチューセッツ州フェアヘーブンで共に暮らた。学校で、英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学び、首席になるほど熱心に勉学に励んだ。
卒業後は捕鯨船に乗り、日本に帰国することを決意。帰国資金を得るためにゴールドラッシュに沸くカリフォルニアへ行った。金鉱で得た資金を持って、ハワイの漂流仲間のもとへ向かう。そして1851年、薩摩藩領の琉球(現:沖縄県)に上陸。
その後、ジョンマンは江戸幕府に招聘され幕府直参となる。その後もアメリカ通として重用される。
もうピカレスク小説のような一生。どこへ行っても全力で解決する能力の高さ!見習いたい。