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第2回AI Salonまとめ (主催:Speedy, Inc.)「かしこそうな機械」キーノーツスピーカー 東京大学教授 インダストリアルデザイナー 山中俊治

 

かしこそうな機械
〜AI Salon 第2回〜キーノーツスピーカー 東京大学教授 インダストリアルデザイナー 山中俊治

主催:Speedy, Inc.

構成:井尾 淳子
撮影:越間 有紀子
日程:2019年6月20日
場所:六本木ヒルズ

【AI Salonとは】
ブランドコンサルティングカンパニーであるスピーディ社がお届けする会員限定サロンです。企業がAIを「明日から使えるビジネスツール」として活用するには、どうすればいいか? 毎月一緒に考えていきます。

第2回ゲスト/山中俊治氏
東京大学大学院情報学環・教授、インダストリアルデザイナー。
1957年愛媛県生まれ。1982年東京大学工学部産業機械工学科卒業後、日産自動車デザインセンター勤務。1987年よりフリーのデザイナーとして独立。1991~94年まで東京大学助教授を務める。1994年にリーディング・エッジ・デザインを設立。2008~12年慶應義塾大学制作・メディア研究科教授。2013年4月より東京大学教授。デザイナーとして腕時計から鉄道車両に至る幅広い工業製品をデザインする一方、技術者としてロボティクスや通信技術に関わる。Suicaをはじめとする日本全国のICカード改札機の標準UIをデザインした。大学では義足や感覚に訴えるロボットなど、人とものの新しい関係を研究している。2004年毎日デザイン賞受賞、ドイツIF Good Design Award、グッドデザイン賞受賞多数。2010年「Tagtype Garage Kit」がニューヨーク近代美術館パーマネントコレクションに選定。著書に『デザインの小骨話』(日経BP社、2017年)『デザインの骨格』(日経BP社、2011年)、『カーボン・アスリート 美しい義足に描く夢』(白水社、2012年)がある。

Suika改札機・誕生秘話

皆さんこんにちは。本日はよろしくお願いいたします。はじめに、自己紹介をさせていただきたいと思います。
学生の頃は東京大学工学部産業機械工学科というところで、機械工学を学びながら漫画ばかり描いていました。そこで漫画と機械工学の両方を活かせる仕事が“インダストリアルデザイナー”であると知り、カーデザイナーとして日産自動車に入社しました。“インフィニティQ45”という車をデザインするところからキャリアを始めて、本日主催のスピーディ社会長でいらっしゃる(株)ウォーターデザイン代表の坂井直樹さんと出会います。そこで坂井さんとご一緒にデザインをした“O-product (OLYMPUS)”というカメラが非常に注目を浴びまして、フリーランスのデザイナーとしては、とてもラッキーなスタートを切ることができました。
その他、車やカメラ、ISSEY MIYAKEのブランドの腕時計などをデザインしています。キッチンツールで知られるアメリカの会社『OXO』社では、「ダイコン・グレーター」という大根おろしのデザインを担当し、Gマークの金賞をいただきました。
皆さんがよく使われているものでは、Suicaの自動改札機があります。1995年頃、JRが非常に困っていたんですね。当時は最先端の技術だったSuicaのシステムを導入しようとしたものの、どうも人との相性が上手くいかず、なかなか使ってもらえないと。今はカードで何でも決裁するので、皆さんも様々なシーンでカードをタッチしますよね。けれど90年代当時はまだ、「カードをタッチする」という行為自体に馴染みがなかった。そのため、カードを決まった場所に近づけないといけないことや、ほんの一瞬止めないといけないことなどがわからない人もたくさんいたわけです。そこでJRに提案をした実験結果から、「多くの人が全然違う場所にかざしてしまっている」ということがわかったんですね。
じゃあどういう形にすればいいのか、いろいろな実験で模索した結果、「手前にある」「斜めに傾いた場所」「そこを光らせる」という条件が揃ったときに、人はようやく、あるべき場所に自然にカードを宛がうことを発見しました。そうしてJRに提案したデザインが2001年から導入されて、皆さんもよくご存知の、あの斜めに宛てる自動改札機が全国に広まったというわけです。全国共通の改札機になったおかげで、現在日本では約8千万人の人に使われています。僕がデザインした製品の中では、おそらく一番ユーザーが多いものではないでしょうか。

デザインというと、一般的には色・形と思われがちですが、僕はSuikaのペンギンをデザインしたわけでも、機械の色をデザインしたわけでもありません。この改札機の事例のように、人と最先端の技術が出会ったとき、どういうフォーマットを決め、どういう付き合い方をしていくべきかを設計するのも、まさにデザインの仕事なんですね。人と新しい技術の出会いというと、まさにAIも、今そういう状況にあると感じています。つまりそれは、「デザインで解決しなければいけない問題があらわになってきている」ということですね。

 

自律的なAIをどうデザインするか

最近の活動例として、一つの展覧会を紹介します。外務省の事業の一環で、サンパウロとロサンゼルス、ロンドンに『ジャパン・ハウス』という文化発信拠点があります。このジャパン・ハウスにはギャラリーがあり、オープニングのときの巡回展では、「日本を代表する展示をやりたい」ということで公募がありました。そこで私たちの研究室が選ばれて、『Prototyping in Tokyo』という展覧会を行いました。幸いなことに大変好評で、サンパウロでは2ヶ月間で9万4千人の人が入り、ロサンゼルスでは4万7千で、ロンドンではなんと11万1500人もの人に来訪いただきました。
「3Dプリンターという新しい技術で何ができるのか」とか、「最先端のロボティクスで、人とどんな関わりが生まれるのか」など、東京大学でさまざまな研究者と一緒に作ったプロットタイプが展示の内容です。つまり、デザイナーとサイエンティストのコラボレーションを見せていくような展覧会ですね。たとえば、3Dプリンターで作ったロボットたちは、組み立てるのではなく、3Dプリンターからダイレクトに生まれるようなデザインがされています。
本日のテーマの「AI」にサポートされて、人工物は非常に独自の振る舞いをするようになりました。我々にとって人工物というものがニューカマーになりつつあるわけですが、これまでは道具として手の先にあったり、椅子として自分の体にフィットするものであったり、車もそういう複雑な「道具としての延長」だったわけですね。それらが自律的になりつつあるということは、デザインにとっては非常に新しいテーマであるといえます。この自律的なAIというものをどうデザインしていくか。それが本日の講演の主たるテーマになります。

「賢そうに見える機械」デザイン例

そのことに最初に気がついたのは、2001年に初めてロボットをデザインしたときのことでした。私にとっての最初のロボット作品でもある“Cyclops(サイクロプス)”は、日本科学未来館のオープニングイベントのために制作したものです。
アシモが登場する直前、ホンダから「P2」というロボットが登場し、自由歩行ができつつあることが話題になっていました。その頃、ちょっと違う観点で作ってみたロボットが“Cyclops”です。
違う観点とは何かと言うと、ロボットには、とても賢そうに見える瞬間があるということ。「その瞬間だけを切り出して、ロボットにしてみたい」と思ったんですね。何の役にも立たないけれど、「ちょっと賢そうに見えるものが作れるような気がする……」と。当時、外国の研究室で開発されていた自動追尾カメラというものが、とても賢そうに見えたんですね。それを視線としてデザインしてみようと思ったわけです。フレキシブルな背骨の周りに人工筋肉をたくさん配置しました。こいつはとても怠惰なロボットで、突っ立っていることしかできないのですが、唯一できるのが“人がいるほうを見る”ということ。体をひねったり、曲げたりすることも微妙にできるので、柔らかい動作でちょっと人のほうを見る。注意を引くと見るので、みんながその周りで頑張って注意を引こうとして、手を振ったり踊ったりするわけなんですけども。
この“Cyclops”を制作して、気づいたことがあります。これはただの自動追尾のカメラですが、上手くデザインすることで、とても賢そうなものに見える。それは当然イリュージョンなんですけども、本当に賢い機械をデザインするときに、実はそういうことが重要なエレメントになっていくのではないかなと思ったんですね。つまり、「こいつがどの程度賢いのか、わかるようなデザインをする」ということ。賢さのエレメントとして“視線”というものを切り出して、設計して、プロットタイプにしてみたわけです。
2007年には、“Ephyra(エフィラ)”というロボットも制作しました。グラフィックデザイナーの原研哉さんが主催した日本の繊維技術の可能性を追求する『TOKYO FIBER』という展覧会で、筒状に編まれた伸縮性の高い布の中に、12本のシリンダー・アームが放射状に配置されているロボットを作ってみました。布の展覧会ではあるんですけども、僕の中では、「新しいロボットデザインに対する新しい試みをしたいな」と。ロボットが生き物のように見えるのには様々な状況がありますが、たんに「生き物そっくりに作る」のは普通のやり方です。そこで、「人間そっくりに作る」「虫そっくりに作る」「パンダそっくりに作る」といったことが考えられるわけですが、一方で、「特定の生物に形はまったく似ていなくても、生き物のように感じられるものは作れるのではないか」というのが一つのテーマでした。どうしたかというと、先端にタッチセンサーの付いたシリンダーをたくさん配置して、伸縮性の高い布の真ん中にこれを放り込む。すると、先端にタッチセンサーがついているので、誰かが触れるとサッと引っ込むというプログラミングです。

生き物っぽさのエレメント。またそれが自律的なオブジェクトであることの要素を、我々はどこから見ぬいていくのでしょうか。死んでいるものと生きているものは簡単に区別がつきます。賢そうなものがどういう状態で、何をしているかということにも、我々は本能的にすぐ気がつきます。もしかすると、それを上手にデザインしてやるということができるのではないか、という観点でデザインすること。ご紹介したようなロボットを制作する過程で、徐々にそういう視点が浮かび上がり、問題意識になっていきました。

 

生きているように見せるデザイン

これは、機械システムのアプローチとしても同じような過程があり、生き物っぽい機械を作ろうとすると、どうしても生き物の構造に似せようということになります。「人工筋肉を作ろう」「人工骨格を作ろう」「柔らかい素材で作ろう」と。しかし、我々が生き物のように感じるエレメントは、実はもうちょっと違うところにも存在するのではないかという実験から生まれたのが、“Flagella(フラゲラ)”というロボットでした。クネクネと動きますが、柔らかい素材は一切使っておらず、硬い素材でできています。硬い素材を少し曲げて、連結させてひねっているだけなんですけども、立体の連続感が壊れないよう、曲面は非常に丁寧にデザインされています。そうすることによって、2〜3つのモーターでねじっているだけのアームであるにも関わらず、実になめらかに動いているように見えます。機械部品の塊ですけども、結果的になめらかな動きを実現することが出来ています。
私の研究室の村松充君という助教授が最近作ったロボットは、アジアのメディアートアワードのトップを受賞しています。彼がドイツの研究者と一緒に作ったんですけども。皆さん、人間のバランスをとるときの動きを想像してください。バランスが崩れたときに「元に戻る」という筋肉の動きは、あらゆる足の筋肉で行われますが、それは必ずしも自覚的ではない。つまり、外力に逆らうということが、我々の基本行動になっているんですね。赤ん坊も、手を握って引っ張ると、引っ張り返しますよね。ああいう行動が基本ではないかということに気づいた人が、外力に逆らうだけの部分に装填するモーターを開発しました。それを使って、自由にそのモーターで動き回ることができる、不思議なオブジェクトを2つの筋肉に与えてみたわけですね。そうすると、その2つの筋肉は外部に対するセンサーを持たないので、自分に与えられた力に対して逆らうだけですが、重力にかかる力には反発します。2つのモーターは連携しているように見えますが、直接は繋がっていない。でもそれらが一つの目的に対して振る舞うことによって、結果的に、常に立ち上がろうとするものになります。意地悪な姿勢にすると、一生懸命安定姿勢を求めて立ち上がるのですが、その仕草が非常にプリミティブな生き物を感じさせます。「そういえば動物って、いつもこんな振る舞いをしているかも……」という感じですね。赤ん坊が立ち上がろうとしているようにも見えます。安定した姿勢を見つけると、そのまま歩行する。で、また外力が加わると、違うことを始めるという、ちょっと変なオブジェクトですね。
いずれのロボット例も、非常にプリミティブな生き物のリアクションのようなものを再現しています。高度なAIとは少し違いますが、そういう類のロボットも、いくつかデザインしてきました。

目の動きで「知性を表現する」

藤堂高行さんというアーティストが制作して話題になっている、小型フェイスロボットがあります。これはAIというほどのものは搭載していないものの、非常にいきいきした表情を見せているんです。
何がそうさせているのかというと、彼は視線のデザインに非常に丁寧にアプローチしている。一般的に、人間によく似たロボットは目を動かすことはできるけれど、視線をステイすることはしていない。つまり、人間は何かを見て首を振るとき、ある程度それを見ながら首を振ったり傾げたりしています。そこで途中、興味の対象があったらパッと視線を変えるんですね。彼はその動きだけを非常に丁寧に再現しました。その対象物をスキャナーで認識して、「スキャナーした人間の顔に対してじっと見つめる」ということだけを、ひたすら丁寧にプログラミングしたのです。
これまでのヒューマノイドロボットと言われるものの多くは、顔を振ると目もそのまま振られてしまう。「こいつは何も見ていなかったな」というのがわかってしまうのですが、顔を振りながらも視線をステイしたり、対象物に視線を置き続けたりすると、途端に「こいつは何かを認識している」と我々は認識をします。僕もこのデザインはとても重要で、非常に効果的だったと思っています。
しかも彼は、それをかなり自覚的にデザインしています。彼は当初、有名なアイドルの顔にそっくりなロボットを作って、「気持ち悪い」と言われていたんですね。そこで彼は、気持ち悪く見える一番の原因を丁寧に探して、それが視線であるいうことに気づいたわけです。その結果、人間に似ていなくても、顔、口、鼻はほとんど動かなくても、視線だけで十分いきいきして見えるし、感情さえ持っているように見えるロボットにいきつきました。顔を振ったときに上下に目が動く彼のロボットは、目の動きに対して瞼がついてくるように設計されています。これも人間の特徴ですね。一方で、「気持ち悪い」といわれるロボットの典型的な動作は、パッと目を見開いたままでキョロキョロすること。でも彼のロボットは常に、下のほうを見るときには瞼が下りてくる。つまり、眼球に沿って瞼が動くという動作も実現しています。眉毛に対してはとてもシンプルで、端にアクチュエータを入れただけの、ただのビニールのチューブですが、それがむしろ漫画的な手法で、意図的に変化させることによってきちんと感情表現も実現しています。
これがとても感情豊かに見えるということで、ドイツの展覧会はじめ、世界中の展覧会で彼は今、引っ張りだこなんですね。彼が初めて展覧会にそのロボットを出品したのは、実は僕らが主催した東京大学内の展覧会でした。Youtube上で、たまたま彼がこのロボットの映像を発表しているのを見て、「これは非常に重要なことを実現しているロボットではないか」と思いました。そこで、「うちの研究室の展覧会にゲスト参加としていらっしゃいませんか?」とお声かけさせていただいたわけです。それが非常に話題になりまして、5千人くらいの人が集まってくれたという状況になって。以来彼は世界的に飛躍して、本当に様々なところで活躍されるアーティストになりました。
彼のこの作品を見たとき、人間の顔をダイレクトに作っているわけではないけれど、自分と同士だなと感じたんです。つまり、「人にとって何が効果的か」「何が知的に見えるか」「どういう動きをすると人間がいきいきしたものとして認識するのか」というデザインエレメントについて、非常に丁寧に設計されている部分に共鳴しました。

 

AIで重要なのは、
「無意識」に訴えかけるデザイン

形状は違うものの、似たアプローチとしては、我々の研究室にいるデザイナーが今、AIエージェントを作ろうとしています。今AIに対して、さまざまな立体物を与えることがそこらじゅうで行われていますよね。中国でも山ほど卓上ロボットがいて、「こいつらがあなたの生活をサポートします」と謳っているものの、人型、ないしは目・鼻を持ったロボットに接した経験がある人は、たいてい「思ったより使えない」とガッカリします。一方、話しかけるといろんなことをしてくれるスピーカー型ロボットは、音楽をかける以外のことはあまりしない(笑) これはどういうことかというと、本当は出来ることを我々が認識していなかったり、やれないことを期待してしまったりしているわけですね。そこで、「最小限の出来ることを素直に伝えるためのデザインとは何か」ということを先述の彼は研究していて、「シンプルな球体が、声をかけると平面を作ってそっちを向く」という機能だけのロボットを作りました。これが意外に“人を認識している”というアテンションのデザインになっていて、「さあ、何か話しかけようか」と思わせるものになっている。こういうちょっとした認識のようなものをきちんとデザインしていくことが、実は大きなヒントになりつつあるなと感じています。

中国のAI事情を見たときに、AIがどういうふうに我々の社会に入ってきて、どんな影響を与えていくのか。そこから見える未来は確実にあると思います。今日ご紹介したようなロボットは、すぐに社会で活用できるというわけではないので、「役に立たないものばかり作っているよね」とも言われるのですが(笑) でも実は未来に向かってとても重要なファクターの抽出ではないかという思いで、このプロジェクトは進めています。
取りまとめると、未来のために少しずつ、「賢そうに見えるデザインの手法を固めていこうとしている」ということですね。その過程でいくつか見つけたことの1つは、「シンプルさがとても重要」ということ。例えば、にっこり笑う表情をとりあえず付けてみるとか、つい余計なことをしてしまいがちなのですが、実際にはそういう複雑さを能力以上にデザインすることは、むしろマイナスになります。複雑なデザインをすること自体に価値はないんですね。無理矢理、人や生き物に似せないということも重要だと思っています。
一方で、シンプルなボディでありながら、振る舞いは非常に繊細にデザインすることが重要です。皆さんの中には、ウェブデザイナー、特にインタラクティブなウェブデザイナーをなさっている方もおられますが、速度変化や反応、タイミングといったファクターがいかに重要かということは、よくご存知だと思います。それらは実世界でも同様に、非常に重要なんですね。インタラクティブなウェブデザイナーの方たちが、今やっていることをきちんと実世界に持ち込んでいくことは、非常に重要なことだなと思います。
そもそも美しさというのは哲学的なことなので、説明が難しい。アーティストからはよく、「デザイナーは、“美しい”っていう言葉を無造作に使うよね」なんて言われがちですが、僕の中では“美”とは、ある種の完全さとか、健全さとか、うまくいっていることに対するセンサーだなと思っています。人間が本能的に、健全に育った食べ物を見つけること。あるいは健全な異性を見つけること。あるいは、非常に能力の高い敵を見つけること。そういう、日常にせよ危険を察知するシーンにせよ、うまくいっていることに対するセンサーとして、美しさとか、美的感覚というものは存在すると思っています。
例えば美食とも似ていて、本来味覚とは、健康のために必要なものを見分けるための能力なはずですよね。だから、美味しいものを食べる行為は、そのまま健康に結びつくはずだった。けれどどこかから人間はそれを微妙に調理して、刺激して、新しい快感を得るものに変えたというプロセスがあります。子どもは基本、スパイスのような刺激的なものを嫌います。それは、基本的には毒である可能性が高いから。けれどその危険に対するセンサーを微妙にくすぶりながら、尚且つおいしいと感じさせる技術を発達させると、「ただ甘い」「ただ辛い」だけではない、求めていた味以上の満足度を提供することができる。それはある種の文化的な倒錯なわけですよね。
同じようなことが、美的感覚にも起こっています。我々の空間の中で「かっこいいね」とか「美しいね」というものは、非常に複雑なファッショントレンドの中、あるいは複雑な人工物のデザインに囲まれた中で感じ取れます。根源的に美しさというのものは、我々のそういった本能に関わる、健全性のセンサーだと僕は思っているんですね。なので少なくともこの新しいアプローチに関しては、非常にシンプルな形で、美しくしてみたいと思っています。なめらかな動きであるとか、なめらかなボディであるとか、繊細な立体であるとか、繊細な光であるとか、それらがきちんと美しくデザインされているということは、そのものが健全に機能していることを無意識に感じさせるファクターになる。“無意識”という言葉を使いましたが、根本的にはそういう人の無意識に訴えるデザインが強力であり、重要だと思っています。

 

「振る舞いのデザイン」を目指して

我々はいつも他人に対して、本能的な生死、知能の有無、能力のようなものをセンシングしています。そして我々が今、音声認識的なものに頼るのは、基本的にまだ人工物がコマンドベースで動いているからですね。つまり、「○○をしろ」「○○をしました」など、こちらがコマンドを与えたり、報告を受けたりするというベースで、ほとんどの人工物が動いているからです。これがさらにオートノマスになり、AIがベーシックなものになって、あらゆる人工物が自然に我々をサポートする世界が来るとするならば、そのときにそいつらが今何をしているのか、正常な状態なのか、あるいは忙しそうなのか暇そうなのか、どんな能力があるのか、もっとできることがあるのではないのか……といったことを常に推定しながら付き合っていく必要があります。賢そうに見えたり、生きているように見えたり、アクティブに見えたりするファクター、無意識に訴えかける人工物を丁寧にデザインしていくこと。AI技術の進展には、それがもっとも重要ではないかと思っています。
冒頭でSuica改札機のデザイン例についてご紹介しましたが、新しい技術と人が出会ったとき、一般的にはさまざまな齟齬が起こります。期待していたことと違う、あるいは期待以上のことをしてほしいという状況が簡単に起こる。今までの生活習慣からそう簡単にはそこに移行できないけれども、それをスムーズに移行するために、我々がよりハッピーな生活を得るためには、やっぱりお伝えしたようなファクターをちゃんとデザインするのが重要なんじゃないか……というのが、本日の講演の投げかけです。
私はAIの専門家ではないので、AIの発展について、技術の現状について詳しいことを述べる資格も能力もほとんどないのですが、ただ新しいものをデザインしようとしているときに、やっぱりそれがオートノマスなものになっていく未来は想像せざるを得ない。そこに対して、人々がハッピーになっていくためのスタイリング、デザイン、あるいは動きのデザイン、振る舞いのデザインというものが非常に重要であることを感じて、これまでもこれからも、さまざまなものづくりをしていきたいと思っています。
これで本日の私のお伝えすることは以上になります。ご清聴いただき、ありがとうございました。

(了)