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わたしの「国道16号線」(著 : 柳瀬博一)〜 東北新社 植村伴次郎さんの物語

いまから27年前の1993年5月、フランス、カンヌにいた。

当時29歳のわたしは、社長の鞄持ちで世界最大のテレビ映像のコンベンション「MIPTV」に参加していたのだ。

ボスである社長は、日本でトップシェアを誇るCMプロダクションを経営する「東北新社」の創業者 植村伴次郎さん(当時65歳)

コンベンションの合間にカンヌの目抜き通りでショッピングのお供をしていると、植村さんは突然「オメガ」の前で立ち止まった。

「福田くん、わたしが人に使われていたのは、一生の中でたった一回だけなんです。それは、戦後 米国基地のバーテンダーをやっていた時です。その時、米兵がしていたオメガの腕時計が欲しくて、自分で新橋の”COMO”というBARの経営をはじめました。」

そのBARには、黒柳徹子さんを含む若い「劇団四季」の劇団員がたむろしていた。そんな食えない若者たちを起用してはじめた日本語吹き替えビジネス(テレビの草創期はアメリカのテレビドラマを輸入して放映していた)から「サンダーバード」の大ヒットが生まれた。

ちなみに、東北新社の前身は「東北社」といい、浅利慶太さんが名付け親である。植村さんが秋田出身なのでそう命名された。

これが東北新社の創業のドラマである。

◆参考 : 東北新社 創業者 植村伴次郎さんのこと。
http://spdy.jp/news/s3342/

柳瀬博一さんの新刊「国道16号線」の第三章に戦後、16号線沿いにアメリカ進駐軍相手のクラブがたくさんでき、ジャズやカントリー音楽を演奏する日本の第一世代ミュージシャンを多く育てたと書かれている。

「渡辺プロダクションを設立した渡辺晋と渡辺美佐。ホリプロを設立した堀威夫。田辺エージェンシーを設立した田邊昭知。サンミュージックの相澤秀禎。いずれも戦後すぐにバンドを結成し、進駐軍クラブで演奏し、ミュージシャンのブッキングや派遣の仕事のコツを覚え、テレビの時代の到来と呼応して芸能プロダクションという業態を確立した。」

植村伴次郎さんも、そんな同時代に生きる一人だったのだ。

柳瀬さんの「国道16号線」は単に地域の特性や歴史を描いた本ではなく、戦後の日本人のアイデンティティを確かめる書なのである。

この本は、そんな戦後の芸能の発祥だけではなく、日本人としての大きな関わりや発見に満ち溢れている。きっと、みなさんもそれぞれの「16号線」を見つけることができると思う。

そして、そんな先人が作った芸能界にいま自分がかかわっていると思うと感慨深いものがある。

「国道16号線―「日本」を創った道」(著者: 柳瀬博一)
https://www.amazon.co.jp/dp/B08NDH76RX/

余談: その後のテレビ業界の話。

外画ではじまった日本のテレビ業界も、1983年を最後にプライムタイムからその姿を消すことになる。

往年の「チャーリーズエンジェル」「刑事コロンボ」などは、1990年以降ケーブル多チャンネルやスカパー!の前身である「スカイポート」となって蘇る一方、日本のドラマはダブル浅野のドラマがヒットし、芸能プロダクションの興隆が始まる。

しかし、近年ではNetflixやYouTubeなどネットの新勢力によって再び没落しようとしている。コロナが追い討ちをかけた日本のドラマ業界、芸能の世界は、韓国のようなグローバル化が迫られている。