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ビジネス履歴書 : 夢を実現させる自分理論

先日、とある企業広報誌の依頼で書いた原稿の掲載期間が終わったので転載。

「夢を実現させる方法」というお題だが、本当はたくさんの失敗とズッコケがあるのだが、ここはビジネスマンを元気にさせる、という意図があるのでカッコつけた自慢気な文章だけどお許しを!
あまり過去を振り返らないのだが、こういう機会なので思い出しながら書いてみた。
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本当にありがたいことに、毎日毎日たくさんの多義にわたる仕事の依頼を頂く。
アートプロデュース、企業のブランドコンサル、芸能人のエージェント、スタートアップ投資、長寿、健康食品の開発などSDGs関連の相談も増えてきた。
コロナ前は一日5-8件程度の面談を行い、それらの依頼に答えてきた。年間200社くらいの方とお会いする。いまはオンラインで楽になったが、不確実性の時代ゆえ相談件数は変わらない。
相談にのらないのは、二つ。
一つは儲け話の類である。まったく興味がない。ご自分だけで儲けて下さい、と申し上げる。
もう一つは企画の中身とセットで資金集めを頼まれることも基本的にはお断りしている。自分で集めて下さい、と。
わたしの最初の資金集めは、中学三年生の時だった。それまで8ミリで自主映画を撮っていたが、大人に認められ世界のコンペに出品できるのは16ミリからだった。そのための企画をもって、何人かの映画監督の自宅を訪ねた。映画の資金集めをプロデューサーがすることを知らなかった。
当時は「映画・テレビ関係者年鑑」みたいな本があって本屋で住所をメモれた。運良く高林陽一監督の目にとまり、監督が講師だった大阪写真専門学校から機材を無償でお借りし、確か10万円くらいお金をだしてもらった。
その後、高校生のときに自分の作った映画と勅使河原宏監督の「砂の女」をカップリングさせ大阪で上映し小さな成功をおさめた。雑誌「Lマガジン」(大阪の”ぴあ”みたいな存在だった)に写真入りで宣伝できたのが大きかった。
その次に企画を実現させたのは日芸時代に劇団を作り、公演を黒字にしたことだ。学生の企画は親戚縁者と友だちしか来ないからと、料金設定が低く、すべて赤字だった。でもわたしは内輪のみだからこそ高値の料金設定にすべきだと考えた。どうせ来てくれるのだからと黒字にできた。
そして、社会にでた。東北新社では、オーナーである植村伴次郎さんの鞄持ちをやって、次から次へと繰り出される新規事業の立ち上げを間近で見て勉強させてもらった。テレビ局の作り方からスーパーマーケットの横断幕の設置まで、ありとあらゆる目新しい仕事があった。
ソニー・ピクチャーズエンタテインメントでも、新規事業の責任者としてたくさんのメディア開発にかかわり、ハリウッドのユダヤ人思考を学ぶことができた。
ソニー・デジタルエンタテインメントを創業したときは、当時ソニーのCFOだった大根田伸行さんが、たった一度のプレゼンで7億円投資してくれた。そのとき「三年でダメなら辞めなさい。それまで何も口出ししないから」と言われ、その通りしてくれた。ありがたいことに、創業二年目でヒットに恵まれ以降黒字が続いた。
52歳でソニーを辞し、いまの(株)スピーディをはじめた。資本金1万円で喫茶店で開業したが、いまのところ事業はすべて軌道にのっている。スタッフやまわりの友だちに恵まれている。それもうまくいく秘訣かもしれない。
わたしのキャリアの中で、企業をスタートアップさせるために、VCから資金集めをしたことがない。ベテランのオーナー企業や大企業にいたからだろう。口説く人が一人だと時間が短縮できる。
さて、本題の「ビジネスマンの夢を実現させる方法」だが、わたしの方法は簡単だ。
・自分の実現させたい企画を1分くらいで説明できるまで煮詰める。
・その企画をペラ一枚くらいに箇条書き(バレッツ)で書く。
・企画は、何枚かコピーして其々クリアファイルに入れる。(因みに、最近はEVカーを作りたい、ラッパーになりたい、3Dプリンターで街を作りたい、ラジオ局を買収したい等の夢がある)
そして最後が一番大事なのだが、誰に会っても、相手の事情に関係なく自分の企画の話をする。企画は人に話さないと実現しない。そのエネルギーが大事だし、話しているうちに自分の企画の弱さや世間の感覚がわかる。人に話せば話すほど企画がどんどん良くなるのだ。その変更はペラ一企画書にその都度訂正する。
そして、成功の秘訣。これが一番簡単。成功するまで絶対やめない!
以上が、自分の”夢の実現法”である。みんなやり方が違ってもいい。でも、こんな方法もあるんだなと参考になればありがたい。
よく食べ、よく寝て、たくさん喋り続ける。そしたら間違いなく夢は実現しますよ!
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