自分たちが信じているものが、信じられないことだったり、思い込まされていたり…
ふと、考えた。
自分たちがなんて凄い世界に住んでいるのか、と。
貰いもののチョコを頬張りながら、G7のニュースを見ている。世界を動かす人たちの一挙手一投足をツイッターなんぞ縦スクロールさせながら見ているわけだ!
あまりにも知りすぎたのかもしない。1964年の東京オリンピックの背景で何が起きていたのか当時のメディア状況では知る由もなかった。何も知らないと、素直に応援できたのかもしれない。
21世紀の知りすぎた自分たちは、知ってしまったことで幸せになれないし、いや実は知っていると思い込んでいることは、別の何かを知られないために知らされている、とまで心配しなければならなくなった。
韓国の大統領が、ちょっとベンチに腰掛けませんか?って誘われないように日本の首相が韓国の通訳を連れていかなかったり、アメリカの大統領がロシアや中国の人権侵害を怒っているのに、中東の国を壊滅させようとしたり、自国の人種問題を解決できなかったりする。
自分たちの信じていることは、自分たちが信じていいものか考え直す必要があるのかもしれない。
そのために、今日も朝起きて昨日と変わらない青空がでているか確認するのだ。