祖父 福田 薫のこと。
増上寺へ墓参り!
出店が楽しいね。
焼きそば食べたけど不味かった。この道のプロになりつつあるのかもしれないな
福田家は、祖父の福田薫が偉かった。そこから父も兄も私も子供も代々マスコミ業界へ続いている。
福田薫は、中外商業新報社(現 日経新聞)の相撲部の記事からキャリアをスタートさせた。戦後に上の世代が一掃され若返ったことで大出世。日経のナンバー2まで上り詰め、その後の長期政権となる円城寺次郎さんと壮絶な権力争いをし敗北。当時の様子は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『メディアの興亡』(1986年 著者: 杉山隆男)に詳しく描かれている。
社長レースに負けた薫は、左遷人事で出来たばかりの日本教育テレビ(現 テレビ朝日)に飛ばされる。昭和38年(1963年)の出来事だ。新聞社にとってテレビ局はニューメディアに過ぎなかった。
二度目の決算発表のとき、万歳三唱後に倒れ 帰らぬ人となった。享年64歳。
後年、本棚から『副社長という仕事』という本を見つけた。「副社長と社長は、門番と社員より距離がある」という箇所に赤いマーカーが引かれていた。
自分のルーツを知ることは、自分の運命を考えることになる。墓参りの度にそう思う。