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《ネタバレ注意》『The Devil Wears Prada 2(プラダを着た悪魔2)』は、オールドメディアの終わり方を描いていた。

《ネタバレ注意》!!
経営者・投資家として観た『The Devil Wears Prada 2』(プラダを着た悪魔2)
20年ぶりの続編は、単なるファッション映画ではない。伝統メディアの終わり方をめぐる経営論として観るべき作品だった。
物語の中心にある『ランウェイ』(老舗『VOGUE』がモデル)という雑誌は、広告収入の減少、コンプライアンスの欠如、人材流出という三重苦を抱えている。長年君臨してきた編集長ミランダ・プリーストリー(演じるメリル・ストリープと同様70代中盤から後半の設定)で、彼女のセンスでは、AI時代やGen Z世代への対応が難しい。編集幹部との会議では、パワハラ発言を連発する体たらくである。
つまり、日本でも世界でも目にするオールドメディアの死に際の姿そのものなのだ。『ランウェイ』は、外部資本の介入を待つ「弱った獲物」になっている。その所有権を巡って4人の投資家が異なる意図で群がる構造こそが、この映画の本当の骨格である。

4人の投資家、4つの意図。
旧オーナーのアーヴは、雑誌を権威の源泉として長期保有してきた旧世代の出版資本家。彼の死(劇中で亡くなる)は「印刷メディアが保護されていた時代の終了通知」として描かれる。

息子のジェイは、相続した文化資産をコスト削減対象として扱う。創業家の二代目以降でメディア企業が市場に流出していく構造そのものだ。彼はファッションに関心がなく、いつもラフでスポーティな化繊の服を着ていることから、ミランダに「燃やせば一瞬で居なくなりそう」と揶揄される。

そこへ、テック富豪のベンジーが登場し、ジェイから『ランウェイ』を買収しようとする。雑誌をAIプラットフォームに作り替え、恋人への贈り物として私物化しようとする ― ベゾスやマスクのメディア買収を戯画化した存在である。
ここまでの3人に共通するのは、雑誌も編集長も刷新して現代に合わせて経営改革をしたいという前提だ。

しかし、物語は情緒的な方向へ進む。
ベンジーの元妻で富豪のフィランソロピストのサーシャが現れる。
サーシャは元夫ベンジーのテック帝国築きを支えた共同創業者的存在で、世間の注目を集めた離婚調停で株式の平等な取り分を勝ち取り、巨万の富を得た。その資産を女子奨学金・女性シェルター・女性医療基準作りなど、女性と少女の支援に特化して投じている人物だ。
だから伝統ある女性誌を「守るべき文化遺産」として無干渉で買い取る。

ミランダが最終的にすがるのは、サーシャである。だがこれは勝利ではない。産業として戦うことを諦め、慈善経済に逃避するにすぎない。

経営者の視点から見ると、事業として自走できなくなったメディアが富豪の善意に永続的に依存する構造は、決して健全ではない。気まぐれが終われば、雑誌も終わる。

私たちが日々向き合うエンタメ業界も、構造的には同じ岐路にある。放送局の権利独占、収益の偏在、クリエイターへの還元の不在 ― 、これらを放置すれば、どんなに豊かな文化資産も、いずれ「誰かの善意で延命される博物館」に変わってしまう。
ミランダが守ったのは雑誌そのものではなく、編集判断・キュレーション・人間の趣味という価値観だった。

余談 ― 私ならどう経営するか
メディアやコンテンツに関心を持つ投資家から見れば、求められるのは「博物館化される前に、産業として再起する道を残す」経営手法だろう。サーシャの慈善ではなく、産業の自走力こそが、文化を本当に守ることだと私は考えている。
登場するすべてのオーナーが、買収先の仕事を理解できないバカ丸出しのように描かれているのは、いささか納得できない(笑)。
経営者から見れば、事業への理解なしにブランド(長い歴史や伝統)を守ることが不可能なのは明らかだ。伝統を守るためには、伝統を一度崩さなければならない。
私ならどうするか。
まず、ミランダはすぐにクビ。一次情報を取ってくる編集者を大切にする。彼らが作るコンテンツをベースに、ICT(ネット、デジタル化、AI活用)を駆使してブランドとファンダムを構築する。そしてイベントの収益化を組み合わせ、新しいビジネスモデルを作る。そんな方向で再起の道を描くだろう。
慈善で延命される博物館ではなく、自走するブランドに再編しないと生き残れない。

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