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岡本太郎が創った「太陽の塔」のインスピレーションの元は、トーテムポールだった!(2011年 四至本アイさん 談) | 株式会社スピーディ

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岡本太郎が創った「太陽の塔」のインスピレーションの元は、トーテムポールだった!(2011年 四至本アイさん 談)

岡本太郎が創った「太陽の塔」のインスピレーションの元は、トーテムポールだった!

いまから10年前の2011年、天才編集者 大伴昌司(ウルトラマンのブームを作った)のお母さま四至本アイさん(当時101歳)のお宅(蒲田)に訪問したとき、入り口に画家・漫画家の岡本一平 直筆の絵が飾ってあった。

応接には一平の息子であった岡本太郎がバンクーバーからお土産に買ってきたトーテンポールがあった。アイさん曰く、これが後の大阪万博(1970年)「太陽の塔」のモチーフの一つとなったとのことだった。仰天した!

1968年にJALがバンクーバー初就航を記念して、文化人や今で言うインフルエンサーとして、アイさんの旦那である国際ジャーナリストの四至本八郎さん(当時 77歳)とアーティスト岡本太郎(当時 57歳)の2人も招待されていたのだ。

1967年には、「太陽の塔」のスケッチは存在していたが、この旅が太郎にとって「太陽の塔」全体へ大きな刺激になったのは間違いない。

二人はツアーそっちのけで、初めてのバンクーバーの街を探索した。
広大なスタンレーパーク公園。その中に、先住民族ハイダ族をはじめ7つの部族が8本のトーテムポールがある。

先祖代々の伝説や家紋を伝えるために家の前に建てられたのがそもそもの始まり。シャチや熊、カエルなど各部族を象徴する動物や人、仮面などが彫りこまれれている。

これを見た岡本太郎は、沖縄文化、縄文土器と同じような興奮を覚え帰国したのだ。そして、多くのトーテムポールを持ち帰り、その一つが四至本家に飾られていた訳だ。

ハードディスクを整理していたら、この岡本一平の写真がでてきたので、記事にまとめてみた。
追伸: ちなみに、わたしのDNAを調べたら、祖先はハイダ族だった。

「遺伝子が教えてくれる自分探しの旅: ハイダ族の末裔だったわたし… 」
http://spdy.jp/news/s2806/
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◆参考
「太陽の塔」内部公開の取材した記事
http://www.arthajime.com/writers/?p=9536
http://www.arthajime.com/writers/?p=9539

ムック本「リミックス少年マガジン大図解」(1992):内田勝と大伴昌司の点と線
「怪獣博士」の異名をもつ夭折した天才編集者 大伴昌司のお母様である四至本アイさんにお会いした。101歳でますますお元気! (2011.0422)
http://tabloid-007.com/archives/52036331.html