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1997年32歳。職はなくとも、やりたいことをやってみること。

 

1997年32歳。
東北新社をクビになった福田は、なぜかグラフィックアーティストになろうと決意し、中古のIBMパソコン「Aptiva」(容量500メガ)を買って、タブレットでデザインをはじめた。
そしたら、アメリカのポストカード制作会社「GENIE!」から依頼があり、これを仕上げた。
‘Purgatorial town'(三途町)
デザインをホームページに載せていた。驚くほどサイトは少ない時代で、検索エンジン対策をしているところは少なかったからだろう。
3歳の娘をおぶって、夕方青山に納品に行った。納品は当時のインフラ事情により人渡しだった。墓地の近くの路上に美しい黒人の担当の女性がいた。彼女が日本のカントリーマネージャーだった。デジタルでデザインする可能性について立ち話した。
この一枚が屋根裏から出てきて思い出した。それから何回か仕事の依頼はあったが、たいしたギャラではなかったと思う。
その後、ソニー・ピクチャーズエンタテインメントに拾われるまで、デザイナーを自称していた。でも収入面ではほぼ無収入だった。