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星槎学園グループの創始者である宮澤保夫さんとの思い出

星槎学園グループの創始者である宮澤保夫さんが亡くなった。
二週間前に電話で話せたのは、神さまの配慮だったのだろう。
宮澤さんとの出会いは橘川幸夫さんである。2007年のある日「谷岡ヤスジとチェゲバラが大好きな教育者がいるので紹介したい」と電話がかかってきた。
早速、宮澤さんの本拠地である大磯に谷岡ヤスジ夫人の谷岡まち子さんと一緒に出向いた。猛烈なエネルギーの方で、人間が大好きだった。そして、弱い人を強くする術(教育)に一生を捧げた人だ。
もともとは、宮澤塾という教室から始まって、小中学校、大学、海外展開まで一代で巨大で独自の教育システムを作り上げた起業家でもある。
大磯にエリザベス・サンダース・ホーム(ジョー山中など戦争孤児を育てたホーム)があった丘を切り開き、サッカースタジアムを開設した。
お祝いの広告を出してくれと頼まれ、平安時代の高僧・覚猷の言葉「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけむ」という看板広告を長く出させてもらった。
2010年ごろ、ブータンに一緒に行こうよって誘われた。当時ブータン大使ダゴ・ツェリング氏は、宮澤さんがブータンと日本との懸け橋になってくれたお陰で、ブータンの文化・スポーツ交流が盛んになったと感謝されていた。その後、私は行けなかったが、なぜか坂之上洋子さんが一緒に行ったと聞き、この偶然に驚いた。
さらに、ブータンの王子から頼まれ、ユニクロが人気なのに店舗がなく、中国の偽物が流通しているので、なんとかしてくれというので、ユニクロのナンバー2であるジョン・C・ジェイに頼みに行ったこともある。
また、ある時は、ブータンに日本の絵を奉納するパーディがあり、王族も参加するので来てくれと言われ行ったら、その絵が土屋秋恆のもので本人も来ていて王子とも盛り上がった。
『人生を逆転する学校』という本を上梓し日比谷の「松本楼」で発売記念パーティを開催し、南相馬市の支援に力を貸してほしいと力説されていた。
本には「できない事を立証するのは難しい。とことん検証すると、どこかに「できる」が存在する。マイナスがプラスに、不可能が可能にひっくり返る。100%ダメなものは存在しない。」
さらに「”したい”と”できる”の間には、マリアナ海溝より大きな落差かある。”できる”と決めて目標に向かうから 力はついて乗り越えられる。 」と宮澤節全開の痛快な本も出された。
いつも大勢で大磯に押しかけ、バーベキューや大磯の海産物をご馳走になったり、生徒が作った北海道の美味しいじゃがいもやとうもろこしを15年以上に渡って、送り続けてくれた。
宮澤さんとの思い出は脈絡なく、たくさん出てくるが、もはやそれが思い出だけになってしまうのが悲しい。
晩年は、癌との戦いだったが、弱音を吐かず戦い続けた。本当に本当にお疲れ様でした。素晴らしい出会い、ありがとうございました。天国でも教育改革を続けてください。合掌。
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