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EU拡大とロシアの歴史を知る。

ジョージ・ケナンの警鐘が当たった!
・1991年12月、ソビエト連邦の崩壊。ソビエト連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフの辞任に伴い、連邦解体。ソ連崩壊後の独立した連邦構成共和国は、下記の15カ国。
1.アルメニア 2.アゼルバイジャン 3.ベラルーシ 4.エストニア
5.ジョージア 6.カザフスタン 7.キルギス 8.ラトビア 9.リトアニア
10.モルドバ 11.ロシア 12.タジキスタン 13.トルクメニスタン
14.ウクライナ 15.ウズベキスタン
・1995年2月5日、第二次世界大戦後の「ソ連封じ込め政策の設計者」であるジョージ・ケナン(1904-2005年)はNYタイムズ紙に「NATO」の東方拡大は致命的な失敗になる」と警告。「ロシアにようやく芽生えた民主主義を台無しにし、再び、西側の敵対者に追いやりかねない。」
・1999年3月、NATOの第一次東方拡大(ポーランド、チェコ、ハンガリー)ケナンの警告を無視する方とで東方拡大を開始した。(クリントン米政権 1993-2001年)
・2013年12月17日、ウクライナ–ロシア間協定締結。ヤヌコーヴィチ大統領はロシアと数十億ドルに及ぶ融資・協定について締結。
背景には、ソ連崩壊後、ウクライナは経済成長の停滞、2000年代には欧州連合(EU)との良好関係を築こうと模索したが、経済難がありEU統合に入れてもらうことが出来なかった。やむをえずロシアとの接近を図ったのだ。
2014年2月21日、首都キエフでウクライナ騒乱(ユーロマイダン革命)勃発。政府側とデモ参加者の暴力的衝突の結果、当時のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、隣国ロシアへ亡命することになった。
ユーロマイダン運動側が勝者となった。新たな政権が発足(第一次ヤツェニュク政権)し、EU協定の署名と国の司法制度・政治・財政・経済政策の改革に合意し、国際通貨基金は改革の実行を条件に180億ドル以上の融資を約束した。
一方、ロシアは、ヤヌコーヴィチ政権の崩壊をクーデターによるものと位置付け騒乱後、ウクライナへの軍事介入(クリミア危機)を行なった。クリミア半島(クリミア自治共和国)とウクライナ本土のドンバス地方(ドネツィク州とルハーンシク州)でウクライナ軍と、ロシア(親露派武装勢力や反ウクライナ政府組織)が軍事衝突した。
アメリカ合衆国連邦政府のヌーランド国務次官補とパイエト駐ウクライナ・アメリカ特命全権大使が、ヤヌコーヴィチ政権崩壊後の新政権人事の協議をしていたとする2014年1月28日の電話会談が暴露され、ウクライナの反政府デモを主導したのはアメリカ合衆国であったとの指摘もある。
・2021年秋、ロシアがウクライナ国境への軍の集結を開始し(ロシア・ウクライナ危機)、2022年2月24日にはロシアがウクライナに侵攻している。(現在進行中)