「巨人の星」「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」を生んだ天才編集者 内田勝さんの十五回忌だ
本日は、天才編集者で私のメンターでもあった内田勝さんの十五回忌だった。
コロナで三年ぶりに埼玉県入間市越生のお墓にお参りさせてもらった。
奥さま、内田家三兄弟とそれぞれのご家族、お孫さんなど勢揃いだった。
内田さんは、1965年に30歳の若さで「週刊少年マガジン」(講談社)の3代目編集長に抜擢されるや、ライバルの「週刊少年サンデー」(小学館)がやっていなかった原作漫画(梶原一騎)による本格的なストーリー漫画を開発。「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」を立て続けにヒットさせた。紙芝居作家の水木しげるに「ゲゲゲの鬼太郎」(原作は「墓場の鬼太郎」)、さいとうたかおに劇画漫画、貸本作家だった楳図かずおに「ウルトラマン」のコミカライズ、「仮面ライダー」を東映と組んで漫画とテレビシリーズのメディアミックスを実現、赤坂不二夫を「サンデー」から引き抜き「天才バカボン」を描かせた。
また大伴昌司と組んでTBSがお蔵入りさせていた「ウルトラQ」を放送前に雑誌のカバーに登用し、その後のウルトラブームを作った。切手ブーム、鉄道ブームなど二人のコンビでのヒットは数知れず、編集長就任から5年で発行部数を30万部から150万部にし、ライバルを大きく引き離した。
そんな多くのイノベーションを起こした内田勝さんは、編集長になるまで一冊も漫画を読んだことがなかった。これぞ仕事師の面目躍如である。編集部員にはライバル誌を一切読ませず、講談社の近所の旅館に籠り、現代にあうテーマと表現について夜通しディスカッションしたという。手塚治虫が提唱した「漫画は子どものおやつ」理論に対して、内田さんは「漫画は大人の主食」をコンセプトに成功し続けた。クールジャパンの基礎はここにある。
イノベーションを起こすためには、仮説立案能力(ないものを考える力)、激しい行動力(寝ずの編集作業明けに富士山登頂し目が開かなくなるw)、に加えて知的洞察力(人を見る目の確かさ)が必要だ。内田さんは、そのすべてを兼ね備えた天才だった。
内田さんがよく言ってた 「リーダーの3条件」
1.よく食べてよく呑む (元気、長生きがビジネス機会を増やす)
2.声が大きい (コミュニケーションスキルが高い)
3.ウソをつかない(信用・信頼が増えす)
内田さんとは私がソニー時代にアニマックスの立ち上げでお会いし、私が創業したソニー・デジタルエンタテインメントの初代顧問に就任していただいた。そのとき「アドバイスはするけど、議論はしない」と言われ、いま思えば新米社長へのコーチングだったと感謝している。以来、経験豊かな顧問の存在は自分の経営に欠かせなくなった。決めるのは社長だが、歴史や経験に基づいた役員、顧問からのアドバイスは、いまの自分にとっても経営の羅針盤となっている。(坂井直樹さん、安藤 隆春さん、堤伸輔さんなどスピーディのアドバイザーの方々にいつも感謝)
◆参考
亡くなる数ヶ月前にガン闘病の合間に社員に講演してくれた記録は下記を読んでみてください。
『巨人の星』『ゲゲゲの鬼太郎』を生み出した伝説の編集者、内田 勝からラストメッセージ http://talked.jp/02/
◆横尾忠則さんが手がけたマガジンの表紙と謎の一枚について