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わたしが求める2026年

今年はどんな一年になるか、というようなことは私には判らない。
でも、自分がそうなって欲しいなという社会への気持ちを書いておきたい。
オーストラリアが決断(https://youtube.com/shorts/KHSpPOXBrRA?si=0KCMclugqhYVGK7Z)したように日本もスマホやSNSのアクセスを規制してほしい。オーストラリアは16歳未満のスマホ・SNSを禁止した。日本はそれプラス匿名のSNSも全面禁止した方が良い。匿名で人を傷つけた人には厳罰と永久使用禁止。私もここ数年、多くの誹謗中傷にさらされた。殺害予告3回。自宅晒され1回。デモ1回。わたしが嫌いだというハッシュタグ3万件、90歳の母を含む家族への不当な取材など。匿名の安全圏からの攻撃は、人の心を蝕む。人生経験ある自分でさえ心が揺れた。そんな時、まわりのタレントから教えられた。「まだネット記事とかSNS見てるんですか?」って驚くほど素直な顔で!
以降、facebookも知らない人を2千人削除、LINE経由の全ニュースサイトブロックし、Yahooも Googleもログアウト。暇な主婦からくる自分に関する記事URLはアクセスしない。そしたら半年もしたら効果抜群で、生活が楽になった。頭が抜群に冴える。物事への集中力が戻った。この件に関しては物凄く自分を律し、躊躇わずにネットメディアとの向き合いを変えた。
そこまでして自分とスマホ・SNSの関係を正常化できないものなのに、まだ世界を知らないティーンがどんなにSNSで心を痛めつけられたか想像するに、これを対応すべきなのは大人の仕事だろうと思う。大人はどうして何も対処してくれないのか憤りを感じる。
EUのようにSNS規制すべきだし、本家の米国だって公聴会にSNSのトップを呼んで事情聴取して、規制の検討を要望している(ちっとも改善されないけど)
それかあらぬか、世界的な調査で、2022年をピークにZ世代やアルファ世代のSNSアクセスがピークを超え、段々使われなくなっている。そりゃそうだ。若者にとっていいこと何もない。SNS利用がクラスでのグループいじめを助長するツールになっている。
日本でも若年層がLINEがウザいと思うようになってきてたらしい。日常を切れ切れに止められるのが嫌で、中には朝LINE確認したら、その後は機内モードにしてしまうという。
一方、LINEが出始めの2010年に「メールで充分だよ」と言ってた中年が、今頃になってLINEを使い「既読無視とは腹がたつ」などと言い出してデジタル感覚のズレが浮き彫りになっている。
私がティーンの頃は、ネットメディアはなかった。読書が大好きで、図書館中の本を読んだ。講談社の手塚治虫全集は宝物だった。第二次SFブームということもあり、眉村卓から小松左京、そして、SFつながりから安倍公房との出会い。魔術的リアリズムといわれたガルシア・マルケスからラテン文学、アラン・ロブ=グリエなどのヌーボーロマン。ロラン・バルト、スーザン・ソンタグ。ベンジャミン、チョムスキーなど哲学書、構造主義の本などみすず書房の本を買うために週末には京都書院に通っていた。1980年前後に本屋にあった本は殆ど読破した。読書は自分の脳に妄想で世界を旅させてくれた。
また、映画も大好きだった。大阪の梅田にあった毎日新聞が運営していた所謂二番館「大毎地下」では700円で3本の映画作品を上映していた。今となっては、不思議なラインナップで「カサノバ」「アニーホール」「ジャスティス」の3本立てなど6時間連続見ていても飽きなかった。映画ごとに人生があることがわかった。大毎地下が発行していた、と言っても単なる白黒コピーのA3ペラの冊子があった。そこにキューブリック「博士の異常の愛情」に関する自分の感想が掲載され有頂天になったものだ。あの頃から文章書くのが好きだった。
大阪と京都の間にある郊外で育った。近所が里山だったこともあり、クワガタ採りに天王山に登ったり、近所の川で泳いだり、朝から晩まで草野球に熱中したものだ。コカコーラが雇った宣教師がローラースケートを教えてくれたこともあった。水無瀬川という近所の川沿いにローラースケート場があり、そこにのっぽの外人が親切にコカコーラのヨーヨーをくれた。思い起こせば、最初に会った外国人だった。
ある時、学校を休んで仏像を見たいと母に無理を言い、奈良と京都の仏像巡りの旅をした。仏像、切手、コイン、鉄道など、今にして思えば大伴昌治の仕掛けにのった少年時代だった。もちろんその頃は誰が仕掛け人かなど知る由もないが。
友だちと自転車で行けるとこは全て行った。17歳で初めてサイパンに行くまで大阪と京都とたまに祖母がいる東京に大阪で見られないお芝居を見に行くくらいの行動範囲だった。
このように幼少期の有り余る時間を世界を知るためだけに費やせた時代に感謝している。
アルファ世代の子供たちは、生まれたときからスマホやネットやSNSがあった。泣きわめくと「アンパンマン」をスマホで繰り返し見させられあやされてきた。これが時代の進化なのか。
いや、そう早合点してはいけない。国が禁止しなくとも、人間の力は衰えない。若者はきちんと自らスマホ離れしている。パンデミックでオンライン漬けだったのが良かったのか。現実世界がブームになってきた。国内旅行は過去最高。「国宝」の大ヒットなど映画館にもかつての活気が戻ってきた。映画を見ている3時間は、デジタルデトックスという人もいるが、若者はデジタルから抜けるのではなく、デジタルの無いアナログな自由に目覚めたのでは無いだろうか。Out of Digital, Off-Line, Real reality. 自分の目で見て、感じて、味わう生き方。体験価値。
そう、生きているということは、SNSに匿名で悪辣な書き込みをすることでも縦スクロールで時間を潰すことでもない。生きているということは、好きなことを見つけ、好きな人と過ごし、好き放題自由に五感を使って全力で生きるってことなんだ。
わたしは、すでに終わったと言われるFacebookが好きだ。知ってる人しかいない。匿名ではなく実名で意見を言ってくれる。そして、なんなら素晴らしい体験をシェアしてくれる。それは、自分の実人生にプラスに働くことが多い。こんな新しいことやってるのかあとか、それについては自分の意見はこうだとか。
そして、みんなもっと電話使おうよ。友達も家族も仕事も。便利だよ。出れたら出るし、出られないとき、出たくない時は出ない。
Zoomのように予約して話すことってそんな頻繁にあるの?
イランの映画で、会いたい友だちにアポなく山を越えて会いに行く映画があった。実際そういう土地柄の国もあるという。1時間くらいかけて会いに行くけど、相手はいない!!でも特に後悔してる様子もない。そんな映画だった。
自分が会いたい気持ちが大事なんだろうな。いまなら少しわかる気がする。
人間の存在の価値。人間の存在の圧。人間が作り出す偶然の力。
これを再び取り戻す時なのではないか。
わたしが求める2026年は、人がそれぞれの個性や違いを認め、人に親切で寛容である社会になってくれることだ。

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