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第3回 AI Salonまとめ (主催:Speedy, Inc.)「人工知能は天使か悪魔か ~人類とAIの近未来~」キーノーツスピーカー 人工知能研究者、感性アナリスト、随筆家 黒川 伊保子 | 株式会社スピーディ

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第3回 AI Salonまとめ (主催:Speedy, Inc.)「人工知能は天使か悪魔か ~人類とAIの近未来~」キーノーツスピーカー 人工知能研究者、感性アナリスト、随筆家 黒川 伊保子

 

人工知能は天使か悪魔か ~人類とAIの近未来~
〜AI Salon 第3回〜キーノーツスピーカー 人工知能研究者、感性アナリスト、随筆家 黒川 伊保子

主催:Speedy, Inc.

構成:井尾 淳子
撮影:越間 有紀子
日程:2019年9月5日
場所:六本木ヒルズ

【AI Salonとは】
ブランドコンサルティングカンパニーであるスピーディ社がお届けする会員限定サロンです。企業がAIを「明日から使えるビジネスツール」として活用するには、どうすればいいか? 毎月一緒に考えていきます。

第3回ゲスト/黒川 伊保子氏
人工知能研究者、脳科学コメンテイター、感性アナリスト、随筆家。株式会社感性リサーチ代表取締役。1959年、長野県生まれ。奈良女子大学理学部物理学科卒業。(株)富士通ソーシアルサイエンスラボラトリにて、14年に亘り人工知能(AI)の研究開発に従事し、脳とことばの研究を始める。1991年には、全国の原子力発電所で稼働した女性司書AI=ビジネスタームとしては”世界初”と言われた日本語対話型システムを開発。また、AI分析の手法を用いて、世界初の語感分析法である「サブリミナル・インプレッション導出法」を開発し、マーケティングの世界に新境地を開拓した感性分析の第一人者。近著に『女の機嫌の直し方』(インターナショナル新書)『妻のトリセツ』(講談社+α新書)、『共感障害 ~ “話が通じない”の正体』(新潮社)など多数。http://ihoko.com

 

 

日本の「AI元年」は1983年だった

みなさんこんにちは。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
私が人工知能の開発を始めたのは36年前。1983年です。この年に私は大学を卒業し、コンピュータメーカーの富士通に就職しました。83年といえば大型機の世界で、まだパソコンは世の中に流通していません。ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも私とほぼ同じ世代ですが、彼らは20代のうちにスターになりました。けれども、私はただの下働きのエンジニアでした。男女雇用機会均等法の4年前です。女性の雇用は狭かったものの、当時ソフトウェアの部門だけは深刻な人材不足にあり、女性の雇用を前年度の倍に増やしていたのです。この幸運に恵まれて就職し、さて3か月の研修が終わって配属になったのが人工知能のプロジェクトでした。

当時、人工知能なんて言葉を私たちは誰も知らず、「一体何をするの?」という感じでした。ところが1983年のうちに業界では、「日本のAI元年」と呼ばれる年になったのです。しかし、日本では当時、「人工知能」という肩書をもつ研究室もなければ、目立った研究者もいませんでした。世界の人工知能の研究は、「人工知能の父」と言われたアラン・チューリング博士のエポックメイキングな論文が発表された1950年頃から始まりました。『機械は知性を用いるか』という、大変刺激的な命題がチューリング博士によって、世界に投げかけられたのです。しかし1950年といえば、日本は昭和25年ですよ。この国は戦後の混乱期にあって、それどころじゃなかったんですね。軍隊をもつ諸外国では、「軍事インテリジェンス」の一環として予算が付けられてきたという経緯があった一方で、軍事インテリジェンスがないということになっている日本は、のほほんと1980年代を迎えたのです。

しかし、1980年代の初頭に「21世紀は人工知能の世紀になる」という宣言を受けて、慌てたのが時の通算省です。10年計画1千億の予算を計上した人工知能の基礎研究機関として、新世代コンピュータ技術開発機構、「通称ICOT」と呼ばれた研究機関が立ち上がったのが1982年です。翌1983年から、全国の国産コンピュータメーカーで、当時の人工知能専用言語と言われた「Prolog」と「LISP」という、2大言語エンジニアの養成が始まりました。私はその国家計画における「Prologプログラマー」第1世代だったわけです。この国で、あるいは世界で、人工知能が芽吹き、スクスクと伸びていくのを見てきた数少ないエンジニアの1人となりました。しかもその中で女性というのは、本当に希少なんですね。その私が見てきた人工知能の姿を、今日はお話させていただきます。

日本発の「女性司書AI」

1991年4月1日全国の原子力発電所で、「女性司書AI」が稼働しました。日本語を喋り、データ検索を助けてくれる賢いコンピュータです。当時の言葉では、日本語対話型データベースインタフェースと呼ばれました。それは、例えばこんな会話をしました。「1970年代アメリカで細管の破損事故あっただろ?」と入力すると、「72年○○2号機の、このケースでよろしいですか?」なんて答えて、データを出してくれます。キャラクター端末、通称キャラ端は、文字しか出てこないのです。当時は大型機という環境で、人々が使う端末には演算装置が付いてないんです。つまり端末側から命令を入れると、中央のコンピュータから答えが返ってくるのですが、実時間処理じゃないので大抵待たされます。「Aジョブ」「Bジョブ」など、いろんな名前を付けていましたけれど、ジョブの優先順位に従って待たされるので、大きなデータの検索を走らせると、答えが出るまでにコーヒーを買いに行く暇があるくらい、本当におっとりしたものでした(笑)。
そんな大型機環境で、実時間処理で行ったり来たりのインタラクティブな対応を実現するというのは本当に大変なことでした。不可能と言われましたものを実現したので、本気のビジネス環境として『世界初の日本語対話型コンピュータ』と新聞記事にも発表されました。

 

デジタル美女の憂い

その時の印象的なエピソードを一つご紹介させて下さい。このシステムはその年の4月1日に無事稼働したんですけども、1年半前にいただいた発注仕様書には、こんな素敵なメモが付いていました。『35歳美人女性司書にしてくれ』というメモです。当時、コンピュータに言葉を喋らせるなんていうのは初のことですから、発注者の方も夢が募って、胸が高鳴ったんでしょうね。35歳美人女性司書。「声もなく画像もないのに、言葉だけでどうしろというんだ?」って一瞬思いましたけども、私としては好奇心がむくむくと沸き上がりました。
しかも美人の界隈には全く縁がない理系女子でしたから、これはもう客観的にリサーチするしかないと思い、小説や映画を観て、35歳の美人について勉強をしました。たとえば先ほどの「1970年代アメリカで細管の破損事故あっただろ?」という問いに対しては全検索をかけて、検索結果を見やすい一覧表で出すという手はもちろんあります。でも、「もし私が35歳の美人司書だとすると、おそらく1回チラ見せして、“これでいいでしょうか?”と確認するだろうな」と思いました。なので部分検索をして、「このケースでよろしいですか?」って、チラっとだけかいつまんで見せる。「ああ、そうそう」と返ってきたら、「わかりました」と全検索を出す。後日、その流れに「女性の細やかさを感じる」と言われました(笑)。

これは、実はそうせざるをえない理由もあったんです。いきなり全検索を促すと時間がかかりユーザを不安にさせるので、部分検索で繋いだわけですが、そういうことをあちこちに工夫したんですね。4月1日に稼働したこのシステムについて、後日全国の原子力発電所の運転員の方に、使い勝手に関するアンケートを取りました。そのアンケートですが、ある方の1枚の余白に、こう書いてあったんです。『彼女は美人さんだね』。エンジニア人生の中で、この評価は最高の勲章でした。今でも、あのボールペンの走り書き文字は忘れられません。

 

AI開発者こそ、人間の感性を知るべき

さて、この35歳美人女性司書AIも、勘違いすることがあったんですね。人間とは違う、イラっとさせる勘違いというものがやっぱり発生してしまうんです。人間同士であれば、表情を見て「まずかったかな」と思ったりしますが、彼女には無理。そこで、勘違いが時に相手を怒らせることがあるため、「バカやろう」と言われた時には、「ごめんなさい」と謝るようプログラミングしておきました。35歳の、完璧なプロフェッショナルですから「申し訳ありません」が正解だとは思いましたが、ここは「ごめんなさい」だろうと。

そして稼働して3か月目の、ある7月の熱い真夜中でした。原子力発電所技師の「バカやろう」が出たんですね。翌朝ログを見て、「バカやろう」と入っていたのを見つけたのです。この「バカやろう」の後に彼女は「ごめんなさい」と答えます。当然です。しかし続くその後の技師の方のログには驚きました。「すまない。俺も言い過ぎた」と入っていたんです(笑)。技師の方は、彼女がコンピュータであることは当然わかっています。なのに、なぜこれを入れたのか。私は、同じことをしてみました。同じように質問を入れてみると、同じように彼女は勘違いをして、私自身もイラついて、「バカやろう」を入れました。すると、今までは待たせずにどんどん答えてきた彼女が3秒ほど黙り、そして「ごめんなさい」と返してきたんです。私が作ったシステムなのに、AIが感情を持ったのかと一瞬思ったくらい驚きました。そりゃあ技師の方も、真夜中に1人でこれを使っていたら、「すまない」と入れるだろうなと思ったんです。

私は、その時胸を衝かれました。私たち人間は、会話で情報を交換しているだけじゃない。情を交換しているんだなと思ったんですよ。つまり、データとしては意味がない3秒の空白。実はこの空白ができちゃった理由があって、当時のコンピュータのワークネットワークは、今のスマホよりもずっと狭かったんですね。電子力発電所のテクニカルワームをワークネットに展開すると、こういう無駄な言葉を入れる隙間がなかったんです。そこで、「ごめんなさい」は、2次記憶の領域に待避させてあったので、そこまで探しに行く必要があったんです。というわけで、3秒の間ができちゃったわけですが、この空白が私に教えてくれたことは、「AI開発者の責任」です。人間のように振る舞わせる場合、つまり人間と人工知能が自然言語で会話する時に、私たちAI開発者は「人間の感性を知らずに人工知能を作っては危ない」と思いました。このケースは「深いい話」で終わりましたけど、この人間の隙をついてしまうようなことが、ともすると将来、人命に関わることになるかもしれない。少なくとも人のモチベーションを下げたり、それによって人の直感を阻害したり。本来、人に寄り添うはずの人工知能に、そんなことをさせるわけにはいかないと思いました。これが私の人工知能研究者、開発者としての原点になっています。当時のコンピュータ性能が低かったおかげで、さらにいうと、当時のユーザーたちがコンピュータに対してデリケートだったおかげですね。

「心文脈」と「事実文脈」の違い

こんな研究をしていて、気付いたことがありました。人と人工知能との対話を研究していて、しかもその初代に女性らしい会話を要求されたおかげで、男女の会話の流れを山ほど追求したんです。そしてわかったのは、男女が好む対話モデルは、それぞれ全く異なっていて「相容れない」ということでした。「相容れない」というのは、単に「違っている」だけじゃないんです。お互いに自分の感性に従った気持ちのいい会話をしようとすると、相手をイラつかせるという関係になっている、ということですね。大変切ないことですが。

そもそも、対話というものには2種類あります。それは「心文脈」と「事実文脈」。この2つの文脈の続き方がある。心文脈のほうは、気持ちの流れを語ります。つまり感情で記憶を引き出そうとしている人の対話の流れですね。感情で記憶を引き出すのは、脳にとって大事なことですよ。「あの時悲しかったの」「悔しかったの」「危険だと思ったわ」というように感情で記憶を呼び出すことで、その記憶を丸ごと網羅して、再体験をするんです。従ってその再体験から、実体験では気付かなかったことに気付ける。たとえば「あの部長ひどいんです。私、こんなことがあって腹を立てているんです」みたいな会話は、単なる愚痴じゃないんです。その時の細かいことまで脳が再体験して、その中に潜んだ人間関係の歪みであるとか、ちょっとしたひと言が誤解を生んだことなどに気付くことができる。

いいですか? 脳はプロセス解析をして気付きを得るために、口から感情を出すんです。だから感情的な会話というのは、無駄な会話ではないんです。多くの方がビジネスシーンで「女性の愚痴は無駄だ」と思ってるけれど、感情で記憶を引き出す脳でしか、気づけないことがある。さて、感情で会話をする人は、脳の中でプロセス解析をして、無意識のうちに新しい気付きを生み出しています。要は、この気付きを顕在意識に上げてあげなきゃいけないんです。ところが顕在意識に上げるためには、脳が緊張してるとダメなんですね。脳の緊張をほどいてあげなければいけない。さあ、脳のストレス、脳の緊張をほどくためには何をしたらいいと思いますか? それは「共感」と「ねぎらい」なんです。問題解決と称して、突き刺している場合じゃないんですね(笑)。感情を喋る人には、優しく答えてあげてください。たとえば先程の部長への不満についても、「あそこの部長、私のことなめてるんですよね」みたいな会話に対しては、「君も口のきき方が悪いだろう」なんて言わずに「ああ、あの人そういう口のきき方するのか。そりゃ大変だなぁ。君もよくやってると思うよ」と返してみてください。そうしたら本人から、「まあ私も、ちょっと最初のアプローチを間違えたかもしれないんですけど。謝ってきます」とか言って立ち上がりますから。というわけで、「心文脈は共感とねぎらいで受け止める」。すると対話の中で、最大にして最良の答えが最短で出ます。

 

人工知能で、男女の会話の壁を超える

一方の「事実文脈」の会話について、です。これは文字通り、感情は抜きにして、合理的な結論を急ぐ会話です。つまり「あの人酷いんです。私、傷つきました」というのはいらない。お前が何をして、何が起きて、相手は何をしてきたのか。聞きたいのはそれだけです。つまり「事実文脈」の会話は、対応を急ぐための会話です。人間関係の真相とかどうでもよくて、「今データベースがダウンしていたら、そのダウンをどうしようか?」という会話。ビジネスシーンでは8割方、「事実文脈」の会話であることは間違いありません。

しかし、「これを家庭に持ち込むな」と、私はいつも言っています(笑)。「君はここが悪いね。すぐにこうしなさい」という返し。これはビジネスシーンでは役に立ちます。かつては狩りをする男たちがこのタイプで会話をして、命を守ってきたからです。だから重要な会話であり、男女ともに、どちらもその会話はできます。男女共に、どちらの会話システムも脳の中に搭載されているのですが……。実は脳には緊張があり、情を伴う関係においては、女性は「心文脈」を、男性は「事実文脈」を、ほぼ選んでくるんです。これが男女の溝を作ってしまうんですね。ビジネスシーンでは事実文脈で話す女性も、愛する人の前では「この人なら私の気持ちをわかってくれる」「今日の話を聞いてもらおう」として、心文脈の話をする。たとえば子育て中の夫婦であれば、妻は「今日PTAでこんなことがあって、あんなことがあって、ほんとにひどいのよ」と言う。当然これは心文脈ですから、受け止めるのは「共感とねぎらい」なので、夫の言葉はこれしかありません。いいですか? 模範解答を私が今から言いますよ。「PTAって、本当に大変なんだね。君ひとりに任せてごめん。それにさ、君は美人でできるから、嫉妬されてるよね。きっと」。いいですか? これぐらい言ってもらわないと憂さは晴れません。ところがこの国の男子の多くが「嫌ならやめればいいじゃないか」と言われた日には、ストレスは倍増どころか100倍になります。夫にとっては不幸なことに、最初の怒りはPTAに対する怒りだったのに、その一言のおかげで全て夫に対しての怒りに変わる。これがコミュニケーションの妙です。つまり私は、これをコンピュータに、つまり人工知能に理解させようと研究してきたわけです。

 

AI時代に生きる女子高生からのメール

人工知能に関しては、ここにいる皆様は最先端の現場にいらっしゃって、私よりも現場のこと知っておられると思います。けれど人工知能というものを総括してきちんと理解してもらう義務が私にはあるなと思っています。

一昨年の秋、17歳の女子高校生から一通のメールをもらいました。私の心を本当に動かしたメールでした。「黒川先生に質問があります。先生のことを知り、先生にしか聞けないと思って、このメールを書いています」と。メールには、4つの質問が書いてありました。「私は高校2年生でそろそろ進路を決めなければいけません。私が世の中に出る10年後、世の中はどうなっているのか、人間にどんな仕事が残っているのかまったくわかりません。どんな進路を選んだらいいかもわからないのです。ついては、先生に4つの質問があります」という趣旨を添えてありました。今の17歳は、ここにいるのかと思いましたね。私の17歳の時は、その答えは簡単でした。成績良ければ、医学部か法学部に行くような時代ですからね。それが今は、先が見えなくて、10年後には一体何の仕事が残っていて、何の仕事が残っていないのか。自分が何を学べばいいのかさえも答えがわからないところに、この17歳はいるんだと思いました。そこで私は、その本質的な4つの質問にお答えしました。

人工知能の使命

まず第1の質問はこれでした。「人工知能には、何ができるのですか?」。この答えは簡単です。「人が想像することなら、何でも」です。人工知能は脳の認識特性をコンピュータ上にシミュレーションして、携帯端末や家電、車のコントローラーなどに実装していくテクノロジーです。だから人間の脳が解明されれば解明されるほど人工知能も賢くなっていく。「人が想像することは何でも。今現在できることは限られていても、未来にできることは無限です」とお答えしました。そして次の質問2です。

「人工知能は人を超えますか?」。もちろん超えます。これは即答です。超えなければ、存在する意味がありません。たとえば癌のDNA遺伝型の解析をするAIは、ほんの数か月でベテラン医師の領域を超えました。ほんの数か月の学習と現場経験で、現場の医師が見逃した7人の癌を見つけてきました。さらに、その新しい治療法の投薬の組み合わせも見つけてきているんです。IBMのAIのワトソン君ですね。最初、大学の医局にワトソン君が入ってきた時、みんな鼻で笑ったと言ってました。しかし半年経ったころから、「そうだ、ワトソンに聞いてみよう」。そして、1年経ってからは、「ワトソンなしでは判定は下せない」。人なら数週間かかる分析を10分でやってのけてしまう。休む必要がないので、日々増えていく論文も毎日解析しています。ということで、最先端の知識を持った、神と呼ばれる医師たちの判断を学習して、間違わずにたった10分で答えを出せるAIが世界中からアクセスできるようになるということ。むしろそんなことができるようにならないと、人工知能を導入する意味がありません。特に分析のような、パターン学習で済むものは人工知能が本当に得意とするところです。あらゆる分野で、AIが活躍するようになりますが、かといって人がいなくてもいいわけではありません。当然、データ分析は人間から学ぶわけですから、先人がいなくては、人工知能の達人の技はあり得ないんですよ。人工知能は複数の達人の事例を学ぶ壮大な知能、アーカイブですから、人間がいないと存在しないけれども、優秀な人間が少数いればよくなってしまう……というのも間違いないでしょう。人工知能を共有すると、全国の病院に選りすぐりのトップ解析師軍団がいるのと同じことになります。当然医者は暇になるわけではなくて、分析に使っていた時間を治療に専念できるようになっていきますよね。全ての人に、最高級の知性を教授できること。これが人工知能の大事な使命です。

これからの人間の仕事は「面白がる」こと

そして次の質問3も、よく聞かれることです。

「人工知能に仕事を奪われますか?」。当然、残念ながら奪われる仕事もありますね。人工知能は、定型業務を緻密にこなし、新規事例に整合性のある判断を下し、ちょっとした工夫をこなす。こんな部下、誰だって欲しいじゃないですか。よく「そうは言っても黒川先生、人工知能には使われたくありません。人工知能の上司はごめんです」とおっしゃる方がいますが、実際に人工知能の上司は本当に楽だと思いますよ。マウンティングもしてこないし、言ったことを忘れないし、気分にムラもない。近い未来、「人工知能の上司を希望します」という人事査定や要求は絶対にあると思っていますから。つまり人工知能は、世の中の多くの仕事を代替してくれて、しかも優秀で、いいやつです。特に数字や前例が重要視される金融や行政、放送のタスクなど、客観性のある仕事は代替しやすいでしょう。そういう意味では数字で判断する銀行は、人工知能導入企業の最先端をいっていますね。人間の情を入れるなと言われているジャンルは、最も人工知能が入り込みやすいですから。ということは、「エリートの仕事が代替される率が高い」ということになりますから、エリートの定義自体が変わる可能性がありますね。なので私は、女子高生への返事に、こう書きました。「あなたは、何かのマニアになりなさい。これからは、誰かにものを教わろうとなんて思わないことです。ものを教わって知らない真実を知るのは本当に素敵なことだけれども、実際に生きていく力は、あなたが何かをマニアになって、面白がり抜くことでしか手に入らないですよ」と。

これからの人間の仕事は、「面白がること」。「失敗して胸を痛めること」。そして、「動揺すること」です。動揺する、怖がる、不安に思うこの時、脳は最大限に働いて、完遂演算をしています。動揺してぐずぐず言う、失敗して痛い思いをしてくじける、そして面白がる。こんなところにしか、お金になる人の仕事は転がってこないので、「とにかく何かを愛し抜け」ということを彼女には伝えました。ポイントはテレビ番組の『マツコの知らない世界』に出てくるような人たちですね。「鮭缶が好きすぎて、鮭缶で300以上の料理が作れるようになった」みたいになった時、人工知能にできないことがあなたの脳に見えるはずだから、と。だから、人間の教育もきっと変わっていきますね。そして増える仕事も当然、数多くスポットが当たるようになるでしょう。

AIを育てる人間が忙しくなる

かつてコンピュータが発達した頃、そろばんを弾く人がいなくなり、人間は暇になるかと思ったけれど、ITに関わる人たちがこれだけいて、日々徹夜しようとしています。アメリカでは、スポーツと経済の記事の多くが人工知能によって書かれていると言われていますね。なぜなら、新聞記事のような定型の自然語文というのは、人工知能が得意とすることです。定型でなければ、情報が正確に伝わらないですから。株価の推移を見たこともないような情緒的な文章で書かれたら、上がったのか下がったのかわかりません。特に英語は表現のゆらぎを許さない言語なので、日本語よりずっとAIに代替しやすいんですね。

それでも、「いい記事」を書くとなったら、そう単純な話じゃない。「人を感動させるいいスポーツ記事とは何か」をAIに教えなければならないんですよね。でもその記事の書きぶりは、新聞社によって違う。巨人中日戦も、読売新聞と中日新聞では書き方違います。スポーツ新聞系は、もっと違うでしょうね。「うちの新聞らしい書き方」を、人工知能に教える必要があります。しかも過去の名記者の書きっぷりも再現できますから、過去の全ての知を使っていて、今この瞬間の、この新聞社のスポーツ記事の素晴らしさとは何かを語れる人が、「AIプロデューサー」たちですね。つまりマニアは本当に必要で、それがあらゆる現場にいなきゃいけないわけですから。「この現場にふさわしいAIは何か」を判断できる人。そして、そのAIにどんどん学習パターンを作って、食わせる人が必要です。いい野球の見出しに涙することができるぐらいのマニアです。というわけで、人間はそのあたりの仕事で、かなり忙しくなると思うんです。つまり、「想像力」がものをいうでしょうね。

ネット革命によって、シンギュラリティは既に起きている

そして最後の質問4です。

「人は人工知能に支配されますか?」。現在のAIにその可能性はないといえます。ニューラルネットワークは非常にプリミティブな生体構造を模していて、想定外の自我が芽生えることはありません。人工知能が自我を持って、誰かに勝ちたい、支配したい、あるいは誰かをいじめて「自己存在を確認したい」という脳のインタアクティブな特性を生むためには、もっと別の開発方法が必要になります。当然、設計者にその意図があればそうなっていきます。ですから、人工知能の開発においては、どこまで人間が介入していいかという政治的な判断が必要な時は訪れるでしょう。たとえば医療の現場で、「遺伝子操作をどこまで行っていいのか」という課題に似ているかもしれません。ただ、機械が人間にとって制御不能に陥るという意味のシンギュラリティは、たしかにあります。過去の人間の経験の延長線上のその先、「対応ができなくなる地点」ですね。その地点、シンギュラリティは、インターネットによってもう既にやってきていると私は思います。インターネットによる5G通信は、日本も、2020年から本格化していきます。5G通信が本格化して、遠隔操作がタイムラグなしにできるようになり、あらゆるものがネットワークにつながる。自動車も既に電子制御ですから。ということは、このネットワークを使えば、未来のある地点、東京中の車を武器に変えることも出来てしまう。たとえば2020年12月31日、家電のお掃除ロボットにユーザーを攻撃するように操作がなされるかもしれません。人工知能以前、既にそう出来る土壌は整っているんです。この事態は厳密には、1979年に炊飯器にマイコンが入った日から始まっている。ですので私は、家電製品はよく知っているメーカーの製品しか買いません(笑)。あくまでも私の気持ち、ですけども。というわけで、AIによる人類支配を心配している場合じゃないと私は思っています。

AIという新ツールで、私たちが解放されることがありますよね。危険な作業、過酷な作業の軽減などです。5Gが始まれば、あらゆる遠隔操作が可能になります。遠隔手術まで可能なくらい。既に建機メーカーでは、遠隔操作用の建機の開発が進んでいます。やがて、カフェでタブレット操作している美女が、ショベルカーで荒野の凍土を掘っているような時代になるでしょう。危険な工事現場に人を送るこむことがなくなるわけですね。今、安全に人が暮らしていると信じている21世紀でも、たとえば労働組合の講演などにお招きされて胸が痛くなるのは、やっぱりまだまだ若い人たちが現場で亡くなっているんです。だからどうぞ人工知能をもっともっと発達させてほしいと思います。

AIには、「何をさせるか」ではなく、「何をさせないか」

人工知能は師としても活躍します。過去の事例の壮大な知的アーカイブですし、過去の達人の意識までをも伝えます。将棋AIのユーザからは「間合いや息遣いまでもが聞こえてくるような瞬間がある」という声もあります。「その一手を打った時の、どうだというような気持ちまでが伝わってくるようだ」と。加藤一二三さんAIとは打っておられないそうですが、先日あるテレビ番組でご一緒した時に控室で教えてくれたんですよ。「ぼくはAIとはやらないけれど、羽生くんが“AIはよくできているけれども、日本語翻訳システムで翻訳された日本語文のような違和感がある”と言ってたよ」と。

ここにこそ、「人間にしか伝えられないこと」があるんでしょうね。だから人間がいなくてもいいわけじゃないんです。この紙一枚のようなところに、命につながる感性がある。たとえば言葉の感性は、人は胎児の時に母親のお腹の中で、脳に養われていくものですが、そういうふうに、命があるものにしか判定できない感性は実はいくつもあります。そういう意味では、将棋の棋士の方々も命がけで打っていて、その気合の一手は、おそらく人工知能とは違和感があるんだと思います。

というわけで、AI時代でも、今後人間はますます必要になっていくと思います。仮に公平で気分にムラがなく、マウンティングしてこない誠実なAIの上司が登場したとしても、人間の師だけが知っていることがある。人工知能の先生がいれば、人間の師はもういらないともし人類が思ったとしたら、その瞬間に人類は間違った未来へと進んでしまうと思います。私は、AI業界に「命は守ってほしい。暮らしは楽にしてくれてもいい。けれど人生は放っておきなさい」とメッセージしています。脳はセンスを失敗でしか養えない。人生の奇跡も失敗の先にある。人生をサポートしすぎてはいけない、と。しかし、この言葉、英語に翻訳しにくい。命も暮らしも人生も、lifeだからです。この3つを直感的に区別しない人たちに、本当の意味で人に寄り添う人生知能が作れる気がしません。日本人だけが、それを実現できるのではないでしょうか。その時代を私は現役で見つめてから、この世を去りたいと思います。人工知能は天使にもなりうり、そして悪魔にもなりうる。でも今重要なのは、「何をさせるか」よりも「何をさせないか」。時代の最先端を行く方々には、この「何をさせないか」を常に考えていただきたいと思います。私の話は以上になります。本日は長い時間ありがとうございました。

(了)