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月をつかんだ淵野平さんの思い出

思いっきりジャンプすれば、昼間の月くらいは掴めるかもしれない!
わたしが20歳のとき、淵野平さん(当時52歳)という豪快な先輩にお世話になった。
サラリーマンなのに新宿に小さな居酒屋を経営していて、売れないミュージシャンや役者にバイト仕事をくれた。
淵野さんは広告マンで、仕事では口が上手で「ホラの吹き平」と呼ばれていた。「自分は必ず月をつかまえることができる」と確信をもった言い方でクライアントを説得していたらしい。みんなホラとわかっていても、10回に一度くらいは本当に月のしっぽをつかむのだ。それくらいの奇跡的な仕事を成し遂げた。
淵野さんは愛すべき人だった。前歯が一本なくて、みんなでカンパしたら、翌週には競馬ですっちゃった、と空いてる前歯をすうすうさせながら言っていた。
肺がんになって死期を感じたのか、病院を抜け出して新宿のすき焼き店の座敷に呼び出された。
「いやあ、死ぬ前にすき焼きとしゃぶしゃぶを同時に食べたかったんだ」と笑顔で言った。
その翌週、淵野さんは亡くなった。
いまでも、あの屈託のない笑顔を思い出すと、自分も月のしっぽくらいは捕まえられる気がしてくるから不思議だ。