ロシアとウクライナの歴史を知っておこう!
この機会にロシアの歴史を知っておこう!
ロシアの発祥は、ウクライナの首都キエフである。
978年、ウラジーミル1世(当時 37歳)がウクライナにキエフ大公国を作ったのがロシアのはじまり。ドニエプル川の水利を利用して経済を発展させ、東ローマ帝国の皇帝の妹を妃に迎え、交易関係を作った。それと共にキリスト教を国教として導入したのだ。この時から、ユダヤ教徒との齟齬があった。ちなみにゼレンスキー大統領もユダヤ人。(余談だが、日露戦争で日本に資金提供した海外クライアントの半分は、ロシア憎しの米国ユダヤ人である)
ウラジーミル1世の死後、親族間の争いでキエフ大公は弱体化し、人々はノブゴロド(ロシア最初の首都)やモスクワに移住した。そして1240年にモンゴル軍が南ルーシを制圧し、キエフ大公国は滅亡した。
13世紀、ポーランド王がビジネス育成のために多くのユダヤ人を招聘した。そして、彼らはポーランド貴族によるウクライナ人農民(スラブ人=ロシア人)の支配を番頭のような形で助けてきた。
1762年、女帝のエカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)が即位し、オスマン帝国と開戦して黒海北岸やクリミア半島を獲得し、その結果1795年にポーランド王国は消滅し、ウクライナとリトアニアがロシア領となった。
エカテリーナは未開の土地が残っていたウクライナの土地をユダヤ人に与えたが、農業にあまり関心がなかった彼らは農地を放棄して次第にロシアが建設した南西部の都市オデッサ(ウクライナ南部)に移住し商業を営むようになった。この模様が映画になったのが「屋根の上のバイオリン弾き」。
1881年から84年、 南ウクライナでロシア民衆によるユダヤ人迫害運動「ポグロム」(ユダヤ人に対する集団的迫害行為)が起こり、1903年からはユダヤ人の海外脱出が増えていった。
余談: 前述の日露戦争(1904-1905年)で資金提供してくれたニューヨークのユダヤ系のクーン・ローブ商会は、1977年にリーマン・ブラザーズに合併されている。
つまり、ロシアとウクライナ(キエフのユダヤ人比率は6割)は、キリスト教徒とユダヤ教の対立が根底にあるのだ。
そして、ロシアの人口1億3000万人に対して周辺国としては最大の人口を誇るウクライナ人口4,150万人は1/3の勢力であり、常に恐れている存在なのである。
宗教に是非はないが、こうした複雑で長いヨーロッパの歴史を知った上でウクライナ紛争を見ないと、”国際社会”と報道されていることが、いかに国際性がなく西側諸国(今回の場合は、ユダヤ的なアメリカとEUの都合)の理屈で動いているか1万キロ離れた日本人は知っておきべきだろう。
今週、イギリスのジョンソン首相がインドを訪問し「あなたの歴史的な立場はわかってるしロシアとの仲を咎める権利はないけど、でもロシアからあんまり武器買わないでイギリスからも買ってよぉ」って外交の背景も理解できるというものだ。日本がアメリカやEUに同調せず、ロシアとも多元外交を続けていれば、インドみたいな良い立場を保ことはできた。そしたら住宅建材も値上がりしないし、こんな急激な円安に巻き込まれなくて済んだかもね。
Britain and India aim for free trade deal by October, says Johnson