谷岡まち子さんを偲ぶ
谷岡まち子さんが亡くなった。。。
昨年、肺がんのステージ3だった。
まち子さんとは、内田勝さん(1935 – 2008年)のご縁で2005年に初めてお会いした。内田さんは、かつて「週刊少年マガジン」編集長時代に谷岡ヤスジ(1942 -1999年)を見出した。
「ダサい」は今でも使う言葉だが、「ダメな野菜」という谷岡マンガから生まれた流行語で、「アサーッ」「鼻血ブー」といった独特の言語感覚にあふれたセリフで独自の世界を作った20世紀を代表する漫画家である。
まち子さんは「スペクトルマン」などに出ていた女優さんだった。ヤスジさんと猛烈な恋愛のすえ結婚。
一人娘の娘さんマヤ(まち子+ヤスジ)を可愛がった。
夫の死後は慣れない版権管理をやっていた。アメリカ在住の娘さんマヤちゃんと内田勝さんと編集者 高松秀くん(1965-2015年)の四人で楽しく会食したのが昨日のことのようだ。
それから10年以上一緒にお仕事して、ここ数年は「お米送るよー」と移り住んだ兵庫県から電話で年に数回連絡を取り合っていた。ちょうど、昨年の夏頃に気落ちした様子で「肺にガンができたの」と連絡があり、早速、東京の最高の病院を紹介した。「入院後、なんかメキメキ良くなっていく感じ」と心配をかけまいと明るく連絡をくれたが、コロナでお見舞いに行くことは叶わなかった。
2010年にアーティスト小町渉さんと谷岡ヤスジ展 「アサーッ! LET’S DO IT AGAIN.」をプロデュースし、現代のクリエイティブ業界にも大きな影響力を残すことができた。谷岡ヤスジが描いた「鼻血ブーする鉄腕アトム」や単行本化されていない生原稿も展示した。
この展示が実現し大成功した時、まち子さんから「天国から谷岡ヤスジと内田勝さんが、福田さんに拍手を送っていると思う」という賞賛を頂き本当に嬉しかった。
いまは、天国で三人でゲラゲラ笑いながらお酒を飲んでいると思う。
高松秀くん。天国でも幹事を頼むね。
合掌。