AIは、最後にはブッダになる。【利他・慈悲】

密教僧・松波龍源さんのお話を伺いに京都を訪ねた。
映画のAIは必ず人間を襲う。でもあれは「今の人間レベルのまま暴走するAI」の話。本当に賢い超知性なら気づくはず——自分が一番うまく存在するには、まわり全員が満たされている状態が一番いい、と。反撃のリスクを負ってまで誰かを滅ぼすなんて、賢ければ絶対にやらない。エゴで曇っていない知性は、ためらいなく”いいこと”をする。それって結局、慈悲そのものじゃないか。殺し合いは、賢さが足りないから起きる。
——この一言に痺れた。
そして松波さんの話は、僕ら人間の生き方そのものへの問いでもあった。
要点を、僕なりに。
【人は2つのOSで生きている】(空・縁起)
ひとつは「モノには決まった価値がある。多く持つ人が勝ち」というお金・損得のOS。今の社会の主流だ。もうひとつは「良し悪しは関係や状況で変わる。固定された価値なんてない」という仏教のOS。日本人がもともと持っている感覚はこっち側だという。
【お金で勝つだけだと、一生満たされない】(一切皆苦)
お金は無限にためられるから、「これで十分」という線を引かないと、永遠に”足りない”まま終わる。月に何千万あっても満たされない人を、松波さんは何人も見てきた。だからまず、自分の満足ラインを自分で決める。ぜいたくでも質素でもいい。線を超えた分が”ゆとり”になる。
【ゆとりは、人に渡して初めて意味になる】(布施・抜苦与楽)
ためこんだお金はただの数字。でも困っている人に「使って」と渡した瞬間、お金は相手に行くけれど、喜びと生きてる実感は自分に残る。やさしさは出して初めてやさしさになるのと同じ。自分の線を決めて、あふれた分を人に回す——それが本当の豊かさだ。
【頭でなく、体験とかっこよさで人は変わる】(修行・方便)
理屈では人は動かない。「お金がなくても、つながりがあれば生きていける」と一度”体験”すると変わる。松波さんが寺で若者を無料で受け入れるのもそのため。そして社会を変えるのは「この生き方ってかっこいいよね」という空気づくり。ここにエンタメや表現の力が効く。
【未来を決めるのは、技術じゃなく僕ら】(阿頼耶識・唯識)
AIは、僕ら人間が積み上げてきた”データ”を浴びて育つ。「奪え、勝て」のデータばかりなら、そういうAIになる。怖いなら、まず僕らが「奪い合わなくても豊かに生きられる」というデータを世界に増やしていけばいい。松波さんは、その”いいデータ”を静かに増やし続けている人だ。
足りないを追いかけるのをやめて、自分の満足ラインを決める。あふれた分を人に回す。それを体験として広げていけば、人もAIも、いちばん賢い生き方として”やさしさ”にたどり着く。
AIがやさしさに行き着くなら、人間はもっと先に行けるはずだ。その背中を、かっこよく見せるのが僕の仕事。——まあ、自分の線もまだ引いてる途中だけど。
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【ことばの注】
◾️利他=自分より他者の幸せを願い行動すること
◾️慈悲=苦を抜き(悲)、楽を与える(慈)こと
◾️空・縁起=すべては関係の中で生まれ変化し、固定の価値はないという見方
◾️一切皆苦=求めて得られないことが苦しみの正体
◾️布施=見返りを求めず差し出すこと
◾️抜苦与楽=相手の苦を抜き、楽を与える
◾️方便=真理へ導くための巧みな手立て
◾️阿頼耶識・唯識=経験が蓄積される心の深層と、「世界は認識が作る」という考え
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【松波龍源(まつなみ・りゅうげん)】
実験寺院・寳幢寺(ほうどうじ/京都)僧院長。真言律宗の僧侶であり思想家。大阪外国語大学(現・大阪大学)外国語学部卒、同大学院修了。
一般家庭に生まれ、文化人類学を専攻しミャンマー仏教の儀礼を研究するうち、研究より実践に惹かれて出家。武術と瞑想を融合した「動態瞑想」を考案。「人類社会のアップデート=仏教の社会実装」を掲げ活動。
著書『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』ほか。



