コロナ考 : 原始時代のように暮らすこと
なんだ、いっきに働き方改革できたじゃん。
世界のどこにいようが、ネットとスマホがあれば、地球の果てでも生きていける。
オフィスがいらないことは、既にわかっている。そして、ある種の仕事は ひとつの会社組織も必要ないかもしれない。一人一人が原始時代の狩人みたいな感覚で、目覚めて効率よく獲物をとりに行けば、あとは人生を楽しむだけだ。
わたしは、この素晴らしい自然の中で、相変わらずアーサー・C・クラークが晩年にスリランカの自然の中で書いたコラム「The View from Serendip」を読み直している。下記はその一節。
「長い目で見れば、唯一の成長産業とは、知識の収集と処理であります。その知識の享受を可能にするため、科学技術は、また別の大きな役割を果たさなければなりません。
わたしたちは、目覚めている時、それは感情的もしくは知的な最高のレベルで宇宙とかかわりあっているときこそ、本当に生きていると言えるのです。科学者や芸術家は、そのように生きています。
また、原始時代の狩人たちも、その能力が許す限り、そのように生きていたわけで、いまわたしたちは彼らの生活を、新たな知識の光の中で根本的に再評価しているところです。
つい先般、人類学者たちは、人類が石器時代の途中のどこかで週20時間制をなくしていたことを発見して、驚かされました。生活に必要なものを確保するには、一日の三、四時間の狩猟で十分足りるのです。あとの時間は、睡眠や、討論や、雑談や、そしてもちろん思索のために費やすことができたわけです。」(1967年初出)
それにしても、このような良書が古本の文庫でしかない文化の退行を嘆かざるを得ない。