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コロナ考 : ヒトが海に戻る時

夜の百名ビーチでフラワームーンを楽しむ。
月の光だけで、海面を照らしていて美しい。

自粛生活が長引くと、どうしても自分の頭が電脳社会に引きずり込まれる。テレビ、ネット、SNSなどで語られていることは一切身体性を伴わない。見なければ存在しない。
対極にあるのが、自分の身体、この惑星の自然だろう。わたしが早い段階から都会を離れ、沖縄の自然に身をおくことを決めたのは、人のいない自然で暮らすことで、自分の身体性を保ちたかったからかもしれない。

朝は、無数の鳥の透き通った泣き声、サラウンドで聴こえる細波。夜は、ホタルが放つ仄かな蛍光色、素敵なコーラスのような風の音、カエルや虫が楽しそうに合唱している声。
砂浜の感触を足で感じ、海の中の魚たちとお喋りする。南城は霧が多い街で、その後に必ず晴れる。神秘的な風景の変化と共に暮らしている。

この惑星は71%が海に覆われている。なのに、圧倒的に狭い29%の陸にヒトはひしめきあって暮らしている。このような海辺での暮らしに慣れてくると、ヒトは魚だった過去への郷愁を捨てられずにいるのかもしれない。

安部公房が1959年に書いたSF小説「第四間氷期」を思い出して読み直している。

安部公房が連載前に構想を語っている。
「技術が自然よりも人間の方に向って進む場合、一番大きな変り方は、もちろん妄想ですが、水中生活に人間がもどるかもしれない。

それは胎児のときに人間は鰓(エラ)があるでしょう。人工で海中生活ができるようになる。温度は差がないでしょう。資源は無限にある。海の方がずっと生活が合理的にできる。地球はだんだん暖くなって、北極の氷がとけて、大きな山の頂上だけが残るということにならないとも限らない。人工衛星に乗ってどこかに行くこともできるけれども、人間を加工して水の中に入れて水中生活をするということも考えられる。そうすると人間の感情も変る。同じ人間といえるかどうかもわからないが。」