王様ゲームとしてのNFTアート
私の暗号通貨に対する熱意はすっかり冷めてしまった。それは最近の大幅な下落が要因でないことは、私が2017年から何度も暗号通貨の乱高下を経験し、ビジネスを継続してきたことでわかってもらえると思う。
暗号セキュリティのプロである中村宇利さんとの出会いによって、暗号の歴史、サトシナカモトを誕生させた世界背景、ブロックチェーンの脆弱さを知ったからである。
ブームから目を離し、マクロな視点で暗号通貨を見ると、いくつか素朴な疑問が湧いてくる。暗号通貨は…
◆決済力が弱い(台帳記入に時間がかかり、貨幣の即時決済力がない)
◆安全性が低い(じゃんじゃん暗号が破られて盗まれている)
◆信用力が無い(ハードフォークを繰り返し価値が希薄化)
さらに、NFTについても自分たちでアート売買をやって気がつくことがある。
◆DRM(著作権管理)がないのでコピー簡単
◆バーチャル空間でしか存在できず公衆性がない
◆固有性が低いので、流動性が少なく投資価値が担保されない
だからといって、暗号通貨の誕生と興隆に意味がなかったわけではない。国が発行する中央集権的な貨幣だけではなく、民間で発行できる分散型で多様性のある貨幣の意味を世に提起できた。民主的かどうかはこの記事を読むと疑わしいが…。
また、NFTについてコピー化が前提となったデジタルアートが多少の希少性を持ったことは評価できる。それまで、デジタルアートは、”メディアアート”の一つと考えられ、リアルアートと比較してマイナーな存在だった。それが、少しメジャーにできたという点も評価できる。
わかりやすく説明すれば、NFTアートは、パチンコのような遊具としての価値なのではないか。NFTブームを作った連中は、昔ながらのアーティストやアートキュレーターではなく、ロスやマイアミのDJやEDM関係者で、彼らが面白半分に始めたものだ。ある有名DJは数千のNFTアートを買っては売るを繰り返し巨万の富を築いた。しかし、それは王様ゲームの理屈と一緒で「親」しか儲からない仕組みになっている。一般ユーザーは、決して長期的に儲けられない。ただそれがパチンコ遊びと同じと考えるならば、遊びの需要を一時的に満足させることは可能だし、意味はある。
これらの教訓から、我々は次のステップに進まなければならない。
脆弱なブロックチェーンベースの暗号通貨ではなく、ハッシュチェーンによる完全暗号を使ったデジタル貨幣を開発し普及させることで、デジタル社会に適応した安全でグローバルなお金を実現させなければならない。税務当局も理解できるデジタル貨幣ができれば、その流通はより活発になるだろう。
そして、NFTは、、、もうあまり価値がないと思う。市場が加熱しているうちに売ってしまって、リアルアートへの投資に回した方が身のためである。
◆ 追伸: ぜひ下記の2つのリンクをご覧ください。
(2) 福田淳の対談番組
『暗号貨幣から「経済の多層化」社会へ』
(ゲスト: 日本の暗号技術者、情報セキュリティ・コンサルタンント、企業家 中村 宇利)
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テキスト版(前後編)