エリーさん、あなたとの思い出とアート作品はずーと大切にするからね。
大宮エリーさんがこの世から居なくなった。
悲しくて泣いている。
私は4/23当日に訃報を聞いたので、悲しみから少し経って生前のことを思い出す期間があった。
最初に会った時から人懐っこくて、そして寂しがり屋だった。たくさんのビジネス上の困難を抱えていた。私は、なぜか親身になって無関係者だったが間に入っていくつかの困難を一緒に乗り越えた。
エリーさんからは、時間や場所を問わず電話が入り、私はその都度 街角で佇みながら話を聞いた。企業との交渉に慣れておらず、私もなんとかお役に立てないか奮闘し、解決すると その都度二人で静かに打ち上げをした。
全ての相談が彼女自身が作り出したアートの話だった。そして、それらのアート作品は必ずしも平面に描くだけではなく、コミッションワークと呼ばれる大企業相手の建造物のような案件も多かった。ある私以外の人がキュレートした展示のオープニングでエリーさんから聞かれたので、自分なりの作品構成を解説した。展示が終わったら「凄いよ、あつしさんが言ってた通りの順番で売れた」って。完全に二人のセンスが合致した。
関西人同士ということもあり気が合った。お互い尊敬し好き同士だった。
最後の展示を京都で私がプロデュースさせてもらったのが、彼女からの置き土産だったのかな。打ち上げて誕生日サプライズパーディを出来たのは幸せだった。あれが最期だったなんていまでも信じたくない!
この数年間、病魔が確実に彼女を蝕んでいたが、どうすることもできなかった。エリーさんは、どこか命と引き換えにアートを作る気構えで居たのだと思う。
今年の2月に「ゆっくりする前に二人だけで晩ごはん食べたい。その後はしばらく誰とも会いたくない」と言った。貸切のような和食屋さんで、京都の展示が実現したことをすごく喜んでくれた。別れ際に、なんとなくこれが最期じゃないかと予感があり、見えなくなるまでバイバイした。
突然、4月16日に気になってLINEした。早く良くなって美味しいもの食べよ!ってメッセージしたら、既読になった。けど、返信はなかった。自分としては通じていたと思う。無念に思ったかな?心に触れてホッとしたかな?今となっては、どんな心境でいたかわからないが、これだけ人を楽しませ、アート作品を作れたんだから良かったよ、本当にお疲れ様、と言ってあげたい。
本当に、短い人生だったと思う。アートを考え続けた晩年だったと思う。でも、悔いがないくらいのこだわりと疾走に、みんな喜んで巻き込まれていたと思う。
エリーさん、あなたとの思い出はずーと大切にするからね。そして、アート作品も。
