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知られざる京都ツアー① by 令和トラベル 【点だけで存在する技術を、誰が面にするのか】

【点だけで存在する技術を、誰が面にするのか】
山口源兵衛さん。
京都室町、創業1738年の西陣帯老舗「誉田屋源兵衛」十代目当主。
英国V&A博物館に作品が永久所蔵され、シャネルやエルメスなどハイブランドからも注目される帯匠。

「柄物より、無地の方が難しい。逃げ場がないから」源兵衛さんはそう言った。
ピカソは生涯、子どもの絵に憧れたという。
技を極めた者ほど、技の手前にある無作為性の重さを知る。

源兵衛さんの工房には、40年前に当時90歳の職人が織った螺鈿(らでん)の帯がある。貝殻を極限まで薄く削って嵌め込む、奈良・平安以来の技法。世界に一点。海外の博物館から購入の打診が来ても、貸し出しでしか応じない。当時から金の価格は約10倍。同じものは、もう作れない。

話はほとんど絶望的だった。和紙の二大産地、越前と土佐。水質の良さに支えられた古来の聖地。職人たちは決して高くない給料で、紙漉きの歌を口ずさみながら、今日も漉き続けている。

西陣の帯にも、和紙は欠かせない素材として組み込まれている。表からは見えなくとも、構造の中で生きている。歴史を遡れば、和紙は鹿革の代替品「紙衣(かみこ)」として衣服そのものにも使われていた。源氏物語の帯も、紙でできていた可能性があるという。

帯そのものについて、源兵衛さんは「身体を守る道具ではない。あれは『覚悟』の象徴だ」と言った。戦国の戦場で勝敗を分けたのは、武術でも武具でもなく「血止め」だった。装束の実用と象徴は、生死の現場で同居していた。

着物の文様は、江戸幕府にとって統制の道具だった。伊達政宗が虎の文様を好むことを、幕府は警戒した。地味なネズミ色と縦じまを推奨し、家臣の「牙を抜く」。「よこしまなやつ」が示す通り、横縞は無法者の象徴、囚人服に使われた。
江戸の縦じまブームは流行ではなく統制戦略だった。そしてこの構造は、現代のサラリーマンの画一的なスーツ姿に、形を変えて生き残っている。

「着るものは、薬です」。大麻(たいま)には抗菌作用がある。だから戦国の武士は鎧の下着に大麻を選んだ。平安には、神聖な赤ん坊を迎える布として——縄文以来の風習だ。素材を語る彼の射程は、医学にも信仰にも届く。

「一度失われた技術は二度と戻らない」源兵衛さんは何度も繰り返した。業界の主力は70〜80代。親の背を見て育つ徒弟制は、核家族化と職住分離の中で消えた。AIで技を継承する議論もあるが、京都の織物業界は工房ごとにブランドを持つ。一律の解はなく、個別解を設計するしかない。
工業製品で利益を上げ、その資金を伝統的な紙漉きの維持に投じる。閉じた保存ではなく、開いた継承。京都市の産業技術研究所は、通常の機(はた)では作れない攻めた制作を支援している。所長は非常に優秀だという。ちなみに織物は湿度との闘いでもある。乾燥する冬場は、そもそも作業ができない。

トヨタもコーワも、もとは繊維産業だ。日本のものづくりの根幹に、繊維があった。旭化成のような素材メーカーが、紙織物に本気で投資すれば何が起きるか。エルメスは早くから和紙に注目していた。ディオールは竹を建築素材に使う。海外ハイブランドは、日本の素材の未来価値を、日本人より先に見抜いてきた。

紙布(しふ)という織物がある。1.5mm幅に切った和紙を撚って糸にし、縦14mで織り上げる。熟練者でも半年かかる。技法はもともとペルシャや中国から伝来したが、本家では途絶え、日本にだけ残った。その日本にも、織れる人はあと一人。しかも福井で紙を漉く特定の職人とセットでなければ成立しない。
これは、点でしか存在していない。線にも面にもなっていない。
エンタメ業界に身を置く者として、これは他人事ではない。コンテンツも素材も、結局は「人」に宿る。残すべきは作品ではなく、それを生み出せる人と環境のセットだ。

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