読書で解毒するSNS疲れ
スピーディ出版を立ち上げた理由の中に、”つながり”を求め過ぎる社会風潮への疑問の気持ちがあった。その疑問を解くために新しい出版メディアが必要と感じたのだ。
ここ数年、SNSの発達とともに、人と人との”つながり”がどんどん重視されてきた。その反動も大きいのではないか。”つながる”のは結構なことだが、”つながらない”自由も担保されるべきなのだ。”つながり”が極端に強要されると戦時中の日本のメンタリティになるのだと思う。例外を許さない社会ムードが形成される。
特に日本人の同調圧力は、他国に説明不可能なくらい蔓延している。SNSの批判でタレントが自死を迫られるほどである。ちなみに、欧米人に「過労死」を説明するのは難しい。
たいていは、「日本には奴隷制度が残っているのか?そうでなければ、なぜ死ぬまえに働くの止めなかったの?」と聞かれるのがオチである。人材の流動性も薄く、70%の働き手がサラリーマンであることを考えると、抜けたくても抜けられないというのが実情かもしない。
話しを読書に戻す。そもそも、読書するという行為は、いま流行りのオンラインでは味わえず、むしろ究極のオフライン行動といえる。一人孤独に、世界を感じながら思索を巡らせる。
孤独こそが、SNSでさらされ誤解された自分を取り戻す手段なのかもしれない。
読書は、一時的で薄っぺらな”つながり”を中断させ、世界の広さや多様性を教えてくれる。自分が自分のままでいいことを教えてくれる。
梶井基次郎『檸檬』の主人公は、自分の不安を解消するために、特別に美しいレモンを買う。そのレモンを大手本屋の本の上に置くという行為を通じて想像上のテロを行う。
アルベール・カミュ「幸福の死」の主人公は、すぐに幸福になるために知人を殺してお金持ちになろうとする。お金で、それを稼ぐ時間を減らせるから幸福が長く続くと信じる。
安部公房「砂の女」昆虫を追って砂丘を訪れた主人公が抜けられない穴に落ち、そこで暮らしている女性と強制的に暮らしながら人生を諦めていく。
こういう、読書を通じて、いろいろな考え方があるということを教えてくれるのが出版なのである。
この多様性を提供できるのが、出版ビジネスの醍醐味であり、深さであり、いまこの時代に一層求められているメディアと思う。