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Y字路が示唆する寄り道のススメ : 横尾忠則と内田勝と点と線(2008年6月14日)

2008年5月28日 (水曜日) のことは一生忘れないだろう。この日の前夜 行きつけのBAR「RAKE」 (西麻布) で美味しいカクテルを飲んだ。たった3杯しか飲まなかったのに、翌日は滅多にない二日酔いだった。
ワタシは、いくつかの原稿を仕上げると午後から世田谷美術館の「横尾忠則」展を見にいった。胸騒ぎはしなかった。でも、横尾忠則展に行くか恩師であり入院中だった内田勝さんの見舞いに行くか悩んだ。横尾忠則さんと内田勝さんは、黄金期の週刊少年マガジンで9回も表紙デザインの仕事を一緒にしている。だから、まず横尾さんの展覧会が先だった。そして、図録を5月31日(土曜日)に内田さんにお見せしようと考えたのだ。

…しかし、5月30日(金曜日)…17時30分 ワタシは 内田さんの訃報を東大で聞いた…そこから 先はカオスだ。とにかく、その場を離れてタクシーに飛び乗った!でも、飛び乗ったところでどこにも行く宛てはない… 止め処なく涙が溢れてくる。悲しいというより悔しい… 時間よとまれ!

そこへ、目に飛び込んできたのが、左の光景だったのである。これは、水曜日に見た横尾さんの「Y字路」のモチーフと酷似していた現実の風景なのだ!(↑上の写真)

あまりにも似ているので、運転手さんに「ここで降ります」と告げた。

↑ 横尾さんは、2000年に郷里の兵庫県西脇で、ふとした偶然からY字路に出会う。

複数のY字路を描いているが、左は「宮崎の夜 台風前夜」(2004年)という作品

↑ 「深夜の晩餐」(2006年)

右手の警官が、中央で餌を食べる猫をシンメトリーにして泥棒らしき人物を追っている赤い夜の作品だ。

内田勝さんという 道しるべを失ったワタシは、いまだにY字路の前に佇んでいる。しかし、いつまでも くよくよしていられない。あるいは、左に進んでも右に進んでも、真ん中の建物が第三の道を示唆してくれるのかもしれない。そんな気持ちになりつつある。内田さんがいつも「脇道にこそ人生がある」という言葉を思い出し、ワタシは再び進もうとしてる。