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双葉社のインタビューサイト「THE CHANGE」でロングインタビュー第2回公開中

「THE CHANGE」のインタビュー、第2回が公開されました。今回は、東北新社を辞めてからソニー・ピクチャーズに移るまでの、いわば”どん底”の時期を振り返っています。

BS放送の黎明期、電通も三井物産も東映も、こぞってテレビの免許を欲しがっていた時代でした。僕は植村さんのもとで衛星放送の免許取得のノウハウを一通り身につけていたので、「福田が来ると免許がとれるぞ」といろいろ声がかかったんです。ところが、植村さんの息子さんと経営方針でぶつかって辞めた経緯があって、業界では出禁のような扱いになり、干されてしまった。何社も内定直前で流れていきました。そんなとき、日本国内の事情なんてお構いなしのアメリカ企業が拾ってくれた。それがソニー・ピクチャーズだった、というわけです。

その間、2年ほどは無職でした。家族がいるのに給料はゼロ。しかも、屋上にカンヌから空輸したプールを備えた、そこそこいい家を建ててしまっていて(笑)。400万ほどの貯金がみるみる減っていく。「これはまずい」と思いつつも、可愛がってくれる先輩が毎晩食事に呼んでくれて、余った料理を持ち帰ったりもしていました。

こうして話すと「困難を乗り越えた」という物語に見えるかもしれませんが、自分ではそんなドラマティックな感覚はまるでないんです。僕は自分を認める力がやたらと強くて、自分というものを疑ったことがない。これは家庭環境のおかげだと思います。怒られた記憶がなく、ギャグセンスの高い両親で、何でも笑いに変えてしまう家でした。失業したときも「これ、ネタになるな」と思っていたくらいで(笑)。
だから何かを成し遂げるときも、「必死で」「情熱を持って」という感じではなく、「ああ来ればこう来るな、だとしたらこうすればいい」と淡々と考えているうちに実現できてしまう。その連続なんですね。

ソニー・ピクチャーズに入ってからは「半年で6チャンネル取れ」と言われ、アニマックスやAXNなどの放送免許を次々に取得しました。その後もロサンゼルスでソニー・ピクチャーズモバイルを立ち上げるなど、走り続けました。
ただ、僕は事業が立ち上がると途端に関心がなくなるんです。脳が何かをストレージ(保存)できなくて、常にストリーミングの状態(笑)。
この気質が、次から次へとCHANGEし続ける理由なのかもしれません。

▼インタビュー全文はこちら
https://futabasha-change.com/articles/-/2950

▼書籍情報
『結局、熱狂できる人がうまくいく。 タブーを恐れず成果に導く60の金言』(PHP研究所)発売中
四六判並製/224ページ/定価1,980円(税込)
https://www.amazon.co.jp/dp/4569861245

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